Re:STYLING MONO #12 都会的で洗練された味覚のバーボンウィスキーI.W.ハーパー

#12 I.W.ハーパー


シャンパンがシャンパーニュ地方で生まれたのと同じように、バーボンはケンタッキー州バーボンからその名が広まったウイスキーである。バーボンという土地の名は、独立戦争時に、アメリカ側に味方したフランスのブルボン(Bourbon)朝に由来して、ケンタッキー州の郡にその名が命名されたのである。ルイ16世やマリー・アントワネットとバーボンという酒に繋がりがあるとは興味深い話ではあるが、このウイスキーには、名前以外にヨーロッパの気品を感じさせるものはなく、むしろ、アメリカの土臭さが売りのようなものばかりである。唯一、I.W.ハーパーという洗練された味覚のバーボンを除いては。

現在もケンタッキー州に残るバーボン郡の地名であるが、実はこの地でのウイスキー生産は州の北部に産業の中心が移りバーボン郡にバーボンメーカーは一軒も残っていないという。I.W.ハーパーも州の北寄りの町、ルイヴィルに本社を置いている。

バーボンウイスキーの瓶を初めて透明にしたブランド


アイザック・ウォルフ・バーンハイムと弟のベルナルド兄弟によって、1872年にケンタッキー州パドゥーカで創業した『I.W.HARPER』社。ドイツ系移民だった創業者兄弟はウイスキーの樽売りから商売を始めた。当時、ウイスキー産業は発展の一途だったが、同時に粗悪品も数多く出回っていた。樽からの計り売りや陶磁器の瓶で売られていたウイスキーを、彼らは初めてガラスボトルで製品化したブランドとして知られている。ボトルを振って立つ泡で品質やプルーフ(度数)が判断できることを逆手に取った商売だったが、品質に懐疑的だった人も納得するアイデアだった。

ちなみに『I.W.HARPER』のブランド名はバーンハイムというドイツ系の名前よりアングロサクソン系の名前のほうが、ブランド名として通りがいいと考え、友人であり競走馬のブリーダーでもあったフランク・B・ハーパー氏の苗字を拝借することで付けられたのだという。

アメリカの民謡ともいうべきブルーグラス・ミュージックの中で“テンブルックス”という牡馬のことを歌った曲がある。歌に唄われたこの馬のブリーダーはフランク・B・ハーパーという名だった。I.W.ハーパーのハーパー氏である。

I.W.ハーパーのラベルに輝く5つのメダルは国際的な見本市で獲得したメダルを記念したもの。1885年のニューオリンズ万国博覧会を皮切りにシカゴ見本市や1900年のパリ万国博覧会など獲得した5つのメダルはすべて最高勲章の金メダル。その品質の良さは当時から飛び抜けておりバーボンの地位向上に大きく貢献した。

酒場でくつろぐ男たち。

都会的で洗練されたウイスキー誕生


原料であるトウモロコシの比率は51%以上~80%未満。クリアな風味とクセのないスムーズな飲み口を実現したI.W.ハーパー。どこのバーボンにも負けない洗練された味覚である。

アイザック・ウォルフのI.W.と友人の苗字HARPERを組み合わせたバーボンで大成功を収めたアイザックは所有していた広大な土地をケンタッキー州に寄贈し、現在そこはバーンハイム・フォレスト自然公園としてアメリカ南部最大のリゾートとなっている。

I.W.ハーパー、700文字で綴る歴史

 南北戦争が終結した2年後、1867年にI.W.ハーパーの創設者アイザック・ウォルフ・バーンハイムはアメリカに移住してきた。弱冠19歳だった。バーンハイムは雑貨商や競走馬の仕事に携わり、やがてケンタッキーでのウイスキー産業の隆盛を耳にして同州パドゥーカへ移り住む。ドイツから呼び寄せた弟と共にバーンハイム商会としてバーボンの樽売りを始め、この頃から“バーボン”という名も定着していく。樽や瓶での販売が一般的だったウイスキーに初めてガラス瓶を採用したのはバーンハイムのアイデアだったそうだが、ドイツ人らしい生真面目さから生まれた品質を知らしめるのにはいい方法だった。友人フランク・ハーパーの苗字を冠した「I.W.ハーパー」というブランド名は1877年からスタートしている。

同じ頃、バーンハイム商会で雇ったセールスマンにトーマス・ハーパーという人物がいた。彼は教養と礼儀と誠実さを備えた人物で、そのエレガントな身のこなしが顧客の間でも評判となった。口癖となっていた「It’s always a pleasure.」(毎度ありがとうございます)で顧客の心を掴み、トーマス・ハーパー自体が同社の広告塔のような存在になり、後年その姿がラベルに描かれるようになった。いまもそのボトルに描かれる帽子に手を当ててお辞儀をする紳士の姿がそれである。創業当初はライ・ウイスキーを作っていたが、質のいい原酒とアイザックのブレンダーとしての資質の高さで同社は着実に業績を伸ばし、1888年には現本社所在地であるルイヴィルに本社を移転した。原酒の仕込みから販売まで一貫して行うメーカーとしてスタートしたのである。1920年からの禁酒法では辛酸を舐めるが、歴史に残る悪法が解除されてからは世界的なブランドへと飛躍した。

開拓時代やハンターといった、ワイルドなイメージが強いバーボンであるが、こちらの古い雑誌広告を見て判るように、I.W.ハーパーは早くから都会的なイメージを持っていた洗練されたブランドだった。

1867年頃撮影の写真。行商人を
していた当時のバーンハイム少年

I.W.ハーパーの始まりは、実はバーボンではなくライ・ウイスキーだった。この1895年の広告を見るとイラストのブランド名の下に“RYE”の文字が確認できる。

世界初の12年熟成プレミアム・バーボンとして誕生した、美しいデキャンターボトル。現代でも「別格のバーボン」と呼ばれる芳醇な香りと味わいが特徴だ。I.W.ハーパーは使用する原酒にもこだわりがある。そのあたりのこだわりが他のバーボンとは異なっていて、この「I.W.ハーパー12年」になると、使用される原酒は12年以上のもの、となっている。最近話題となっているハーパー・ハイボールもいいが、じっくり味わうならこの12年ものを飲んでいただきたいものである。

悪名高い禁酒法が解けた1933年、解禁直後にI.W.ハーパー社は政府に再登録申請を行った。多くのウイスキー製造業者が廃業に追い込まれる中、どこよりも早く申請書を出したことで禁酒法後の創業許可第一号となった。

アメリカの酒、バーボン

アメリカのバーボン・ブランドは多くの困難を乗り越えてきた。最初は1920年から13年にも及ぶ禁酒法、そして第二次世界大戦中の産業用アルコール以外の生産休止である。I.W.ハーパーは1937年には業界最大手のシェンレー社に買収されるが、幸いにしてブランドは消滅せずに今も残る。特に1950年代になって再検討されたCIによって、シルクハットに手を当ててお辞儀をする紳士のシルエット広告がイメージを作り上げた。

第二次世界大戦中、米軍の兵士たちは勇気を奮い起こすための気付け薬としてバーボンを世界各地に持ち歩いた。終戦直後の日本にも10銘柄ほどのバーボンが進駐軍によって持ち込まれたそうだが、兵士が飲んでいたものとは明らかに違う、将校しか飲めない酒としてI.W.ハーパーは日本人に認知されていった。

ノベルティも魅力たっぷりのハーパー


最も日本で有名な
I.W.ハーパーといえば
このゴールドメダル。
1980年代の日本で流行し
いまも根強いファンが多い。

水やソーダで割るバーボンも
悪くはないが、ストレートで
飲みたいファンにはたまらない
「I.W.ハーパー12年」
ギフト用としての需要も多い。

ああ、これは欲しいぞバッグ・ハンガー

行きつけのバーでハーパーを注文すると抽選でもらえる質感たっぷりのバッグ・ハンガー。
キャンペーン実施店の中には、好評につき配布が終了しているところもあるとのことだが、まだ、あの店なら残っているかも!
とりあえず、ハーパーを注文だ!

初出:ワールドフォトプレス発行『モノ・マガジン』2011年7月2日号

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土居輝彦(teruhiko doi)
  • 1982年より㈱ワールドフォトプレス社の雑誌monoマガジン編集部へ。 1984年より同誌編集長。 2004年より同社編集局長。 2017年より同誌編集ディレクター。 その間、数々の雑誌を創刊。 FM cocolo「Today’s View 大人のトレンド情報」、執筆・講演活動、大学講師、各自治体のアドバイザー、デザインコンペティション審査委員などを現在兼任中。