Re:STYLING MONO #49 テネシーワルツの香りを纏った世界で最も有名なウィスキー「ジャック ダニエル」

#49 ジャック ダニエル


アメリカ南部、テネシー州は8つの州に隣接した州だ。東はアパラチア山脈、そして西側州境にはミシシッピー川が横たわっている。広大なミシシッピー流域は古くから氾濫の歴史を繰り返してきた。特に下流のテネシーやルイジアナ地域には治水作業や堤防作りに駆り出された労働者たちが多く、同時に巨大な綿花の集積地としても多くの労働力が必要な地域だった。

もちろんそのほとんどは黒人労働者たちであり、そうした独自の環境からブルースやジャズといった独自の音楽が誕生していった。特にジャズの発展には軍楽隊のブラスバンドと黒人音楽との融合が大きな影響を与えたといわれており、19世紀半ば頃の南北戦争などでも多くの軍楽隊が編成された。上の写真は19世紀末にテネシー州で結成された「シルバー・コルネット・バンド」。テネシーウィスキーで有名なジャック・ダニエル氏が結成したバンドであり、主に同社蒸溜所があるリンチバーグ周辺の酒場で演奏活動していたという。酒場と音楽は21世紀のいまも幸せな関係であり続けている。そんな音楽の似合うウィスキー『ジャック ダニエル』の魅力について、今回は探っていくことにしよう。

ウィスキーブランドの中でスクエアのボトルを最初に採用したのはジャック ダニエルである。手作りの時代において、吹きガラスのボトルは円筒形の方が作りやすかったがジャック・ダニエル氏は頑としてスクエアのボトルにこだわったという。

ジャック ダニエルにはいろいろなエピソードがある。あのフランク・シナトラは歌の中で「テネシー・ティー」と呼ぶほど愛し続け、その棺にはタバコなどの嗜好品と一緒にジャック ダニエルも入れられたという。

琥珀のボトルが揺れだしたら
テネシーワルツが聴こえてきた


 この世界的に有名なテネシーウィスキー・ブランドの創業者であるジャック・ダニエル氏。本名はジャスパー・ニュートン・“ジャック”・ダニエルで、1850年の9月生まれ(誕生年と日は定かではない)というのがオフィシャルな記録として残されている。19世紀のアメリカといえば南北戦争(1861年~1865年)が大きな事件で、ちょうど11歳~15歳のときにジャック少年は南北戦争を体験していることになる。ジャックが生まれたのはテネシー州リンチバーグ。貧しい出生だったので、幼い頃から、教会の牧師であり蒸溜所のオーナーでもあったダン・コール家で雇われていた。7歳くらいから働いていたそうだ。

創業当時のジャック ダニエル蒸溜所で働く人々。中央右の白いハットの人物が、ジャック・ダニエル氏本人。

 当時のテネシー州では、サトウカエデの木炭でウィスキーをろ過する方法が盛んに行われていた。これはバーボンにはない手法で、手間とコストがかかり、量産には向かない製法だった。やがてウィスキーの需要が高まると次第に、テネシー州でもこの製法を行う蒸溜所はほとんど無くなっていた。ただ、ジャックはこの製法でウィスキー作りを覚え、13歳になった1863年にダン・コール牧師の蒸溜所を受け継ぐことになる。折しもジャックが生まれ育ったテネシー州は南軍に属し、北軍の攻勢が勢いを増していた時代。不安だらけの門出だったはずだ。ただ、リンチバーグは片田舎の村であり、綿花の自由貿易と黒人奴隷の解放に反対する荘園主たちとは立場を異にしていたことは、幸いだったのではないだろうか。

 蒸溜所を譲り受けたジャックは、生産性の上がらない木炭のろ過にこだわった。いずれにしても1866年頃には独自の“チャコール・メローイング製法”を確立。一度発酵・蒸溜した後に最初の蒸溜時のモロミ残液を4分の1ほど加えて再度発酵させるサワーマッシュ方式ででき上がったウィスキーを、木炭ろ過(チャコール・メローイング)させることでジャック ダニエルだけのまろやかな味を完成させたのだ。効率化のために同業者たちが捨ててしまった手間と職人的なこだわりを捨てなかったことで、後の成功を手にしたわけである。幸いなことにリンチバーグは、アパラチア山脈に抱かれたテネシー南部の丘陵地帯に位置し、水の豊富な土地であった。ジャック ダニエルは鉄分をまったく含まないケーブ・スプリングから湧き出る自然水を、創業当時から現在まで使い続けている。洞窟から湧き出るこの原泉の位置はいまだ判っていないらしい。この鉄分を含まない名水はサワーマッシュに良好な影響を与え、ジャック ダニエルの味における秘密のひとつとして大切に守られている。

ケーブ・スプリングから湧き出る水。水のいいリンチバーグの中でも、ジャック ダニエルはずっとこの洞窟の水を使い続けている。

 ジャックのこだわりはウィスキーの製法だけにとどまらず、当時としては非常に珍しかったスクエアボトルの採用にも固執していた。この時代のガラス製品はまだまだ吹きガラスによる製造が中心であった。しかも産業革命で工業化が進んだヨーロッパならいざ知らず、技術革新の波とは対極に位置していた19世紀のアメリカ南部である。製造が容易な円筒形ではなく、四角いボトルは生産が難しく金額も安くはなかったはずだ。だがジャックは頑なにスクエアボトルこだわった。やがてそのオリジナルな佇まいが大きなアイコンとして市場に認知されていくことを計算していたとしたら、マーケターとして慧眼だったといわざるを得ない。

創業者ジャック・ダニエル氏

 ジャックは非常に小さな男だった。現在もリンチバーグに等身大の像が残されているが、その身長は160㎝にも満たない。しかし、いつもフロックコートとハットを身に付け、口元には立派な髭を蓄え、反骨精神たくましい男だったという。同時に多くの愛人を抱えるほどの好色漢でもあった。またとても短気な性格だったことも伝聞されており、近くにあった金庫を蹴飛ばしてケガを負った傷が元で爪先から感染症を起こし、61歳の生涯を終える原因になったといわれている。ボトルに記されている「OLD No.7」という数字について、7番目に試した製法であるとか、7人いた愛人の数とか、あるいは単なるラッキー7だとか諸説あるようだが、実は何の数字なのかは不明のままだという。その秘密をジャックは墓場まで持っていってしまった。そんな伝説もまた、このテネシー・ウィスキーの大きな魅力のひとつなのかもしれない。


 ジャック ダニエルの生まれたテネシー州は、アメリカ音楽文化の歴史において重要な地域だ。黒人音楽発祥の地であるルイジアナ州と隣接し、カントリー&ウエスタンの聖地であるナッシュビルは州都である。第一次世界大戦から大恐慌までのアメリカの隆盛期は「ジャズ・エイジ」と呼ばれるが、そもそもジャズはいろいろな音楽や文化がごちゃ混ぜになった中から生まれてきた音楽だ。黒人労働歌に教会音楽、軍楽隊が演奏する軍歌、フォークソングなどが融合して誕生した。ニューオリンズからメンフィス,シカゴへと続くミシシッピー川を就航する客船の中で演奏され、その音楽は北上し、シカゴから全米へと広まっていった。当時のジャズはビックバンドが中心。無類の音楽好きだったジャックが結成したというバンド「シルバー・コルネット・バンド」は、酒場での演奏活動を熱心に行っていた。音楽と酒の相性の良さを早くから見通していたジャックの戦略だったが、このバンドが結成されたのは19世紀末のジャズの誕生期と重なっている。時代的にも、そしてテネシー州という立地的にも、初期のジャズとジャック ダニエルが密接な関係であったことは間違いない。だからであろうか、ジャック ダニエルにはいつも音楽の香りがする。

チャコール・メローイングを行う様子。このひと手間が、ジャック ダニエルを世界で一番有名なウィスキーにした。
ウィスキーを寝かすためのホワイトオークの樽は、すべて自社生産。
クオリティやフレーバーに関わる部分なので、他に任せない、というスタンスだ。
ジャックが蹴飛ばした金庫はアーカイヴに残されている。いまだに開けられていないそうだ。

 1866年に製法が確立されたジャック ダニエルは、以降ボトルやラベルのデザインなどいくつかのマイナーチェンジを行ってきたが、基本的には中身の味は何も変わっていない。ずっと1本のテネシー・ウィスキーのみを作り続けてきた。驚くべきことに、新しい製品「ジェントルマンジャック」が発表されたのは1988年。つい最近のことである。120年目に新製品、オリジナルは約150年も変わらぬ味。そんな歴史もまた、このウィスキーに夢中になる魅力のひとつといえるだろう。

ジャック ダニエルは8年以上寝かせない。1997年発売のシングルバレルは、貯蔵庫のトップ階層から選ばれている。
スコッチでもなくバーボンでもない。テネシー・ウィスキーという呼称にこだわるのは、ジャック ダニエルがこの地でしか作れないから。

■ジャック ダニエル ブラック
1866年に製法が定まってから約150年近く作り続けられているテネシー・ウィスキー。

■ジェントルマンジャック
テネシー・ウィスキーならではの、チャコール・メローイングを2度行ったマイルドな逸品。

■ジャック ダニエル シングルバレル
リンチバーグの貯蔵庫で一番上の階層から選ばれた、男の味がするジャック。


初出:ワールドフォトプレス発行『モノ・マガジン』 2013年5-2号


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  • 1982年より㈱ワールドフォトプレス社の雑誌monoマガジン編集部へ。 1984年より同誌編集長。 2004年より同社編集局長。 2017年より同誌編集ディレクター。 その間、数々の雑誌を創刊。 FM cocolo「Today’s View 大人のトレンド情報」、執筆・講演活動、大学講師、各自治体のアドバイザー、デザインコンペティション審査委員などを現在兼任中。