Re:STYLING MONO #36 世界の文豪も愛す「ペリカン」の傑作万年筆

#36 ペリカン


 詩人と思想家の国……歴史的にドイツはそう呼ばれてきた。ゲーテもハイネもヘルマン・ヘッセも、そしてかのグリム兄弟もドイツ人である。世界的な哲学者も音楽家も枚挙にいとまが無い。さらには、20世紀のデザインや建築に多大な影響を与えたバウハウスもドイツで誕生している。こうした文化的背景の中で、この国が画材や筆記具に関する世界的なブランドを多数抱えていることは、当然といえば当然の話なのかもしれない。

 世界的に知られる万年筆ブランド『ペリカン』の歴史は、1832年にカール・ホーネマンという化学者が、独自の製造方法で絵の具の生産を開始したところから始まっている。イギリスから始まった産業革命の波がフランス、ベルギーに押寄せ、ドイツではその礎が生まれた時代である。ドイツ人の気質でなければ決して生まれることのなかった万年筆の名品『ペリカン』の魅力を探ってみることにする。

 「ペリカン」のマークが商標登録されたのは1878年。まだまだ商標意識の低かった時代の話であり品質保証のためのマークを商標登録することは、当時のヨーロッパでも珍しいことだった。現在のマークは2003年デザイン。

「ペリカン」のマークが商標登録されたのは1878年。まだまだ商標意識の低かった時代の話であり品質保証のためのマークを商標登録することは、当時のヨーロッパでも珍しいことだった。現在のマークは2003年デザイン。

 さほど自動車に興味が無い人でも、目の前を通り過ぎたクルマの車種やブランドがすぐに判明するときがある。そうしたデザインやロゴマークに明確な特徴を持つクルマには“名車”と呼ばれるものが多い。紳士の胸ポケットから取り出された万年筆が、どこのブランド製であるのかを知るのも、同じように特徴的なスタイリングやロゴマークから判断されやすい。当然、名品であればあるほどその個性は際立っている。

 ペリカンの『スーベレーン』が持つ独特の存在感は、数ある万年筆の中でも飛び抜けて完成されたデザインから生まれている。ドイツ語で「卓越した」あるいは「優れたもの」という意味のスーベレーンを名前に持つこのシリーズは、5種類のボディサイズに6~10種類のペン先が揃えられている。特にジェード・グリーンのストライプ模様のボディは、誰が見ても『ペリカン』であることが判り、同時にペリカンの口ばしのような形のクリップもまた、洗練された伝統を感じさせるものだ。

 「ペリカン」の名前を一躍有名にしたスーベレーン・シリーズのボディは独自のストライプ模様が特徴。2種類の異なる樹脂を交互に貼り合わせたブロックを縦にスライスして作る。こうした手作りによる風合いや個性を愛するペリカン・ファンは多い。

 万年筆のみならず、文房具の歴史にその名を残す名品「スーベレーン1000」。シリーズの中では最もサイズが大きく毛筆を思わせる弾力のある書き味で日本では昔からファンが多い。胴軸はブラックとグリーン。ペン先はロジウム装飾18金で、字幅は10種類が用意されている。ピストン吸入式。価格6万8250円。ボトルインクは「エーデルシュタイン」のサファイア。宝石の名がつけられた8種類のインクが揃う。

1925年頃のフライヤー。絵の具を始め、筆記用、コピー用、あるいは公文書用などさまざまな用途のインクを製造。製品としての万年筆がペリカンから発売されたのは1929年のこと。

世界の文豪も愛す傑作品


 ドイツ、ハノーバー家の宮廷画家を父に持つ化学者カール・ホーネマンがハノーバーの工房で、独自の製造法による絵の具の生産を開始した1832年が『ペリカン』の歴史の始まりとされている。そして1863年に化学者ギュンター・ワーグナーが経営に参加。近隣諸国へのインクの販売を拡大し、1878年にペリカン製品の品質を保証するために商標を登録。母性愛の象徴とされるそのペリカンの母子像は、古来よりヨーロッパでは母性愛の象徴とされており、ギュンター・ワーグナー家の家紋でもあったという。世界に知られるインクのトップメーカーとして業績を伸ばしていたペリカン社は、1929年に筆記具の製造に着手する。最初の製品は緑縞のモデル100型、14金ペン先の万年筆であった。19世紀末にはウォーターマンによる万年筆の特許が認められ、新しい筆記具に当時の人々は関心を寄せていたが、ギュンター・ワーグナーはその特許から2~3年後には万年筆用インクの製造を始めていたという。

 産業革命ではイギリスやフランスの後塵を拝したとはいえ、ドイツの製造業に携わる職人たちの腕は、ヨーロッパ随一の高さを誇っていた。ペリカンが最初に作った万年筆である、モデル100型用に開発されたピストンノブのメカニズム部分の誤差は、わずか100分の1ミリだったそうだ。インクの残量が目で確認できる別名「透明ペリカン万年筆」と呼ばれるこのモデルにはまた、ピストン式吸入機構が備わっていた(この機構を開発したのはハンガリーの技術者だったが、権利をペリカンが買い取り、後にワーグナーがそれにインクフィーダー技術を追加し、ペリカンの名で特許の再取得を行っている)。以降、次々と新製品を発表していく中で、ペリカンは万年筆の完成度をより高めるために、さまざまな技術開発を行っている。1958年にはインクのボタ落ち問題を飛躍的に改善したサーマル・インク・フィード、1960年には最初の学童用万年筆「ペリカーノ」を発売する。こうした創業当時からの技術力、開発力の高さは同社の伝統であり、1996年に発売された、まったく斬新なインク注入システムを採用した「レベルペン」が、世界にその実力を示したことは記憶に新しい。しかし従来の3倍のインク容量を誇ったレベルペンは、保守的な万年筆市場では大きく受け入れられることなく、後に生産が中止されている。

 ペリカンの筆記具は万年筆だけではない。1934年にはシャープペンシルを発売し、1955年には万年筆とペアになるボールペンも発売している。1993年には現代の潮流にもなっている、収集家や愛好家のための特別デザイン限定品を発売。最初の限定品は「Blue Ocean」で、以降発売された限定シリーズは数多くの文房具賞や工芸賞を受賞している。

 日常的な筆記具から、ステータス性も含めた新しい価値観の中で語られるようになった万年筆であるが、ペリカンという愛すべきブランドへの思いは、創業から175年経ったいまでも変わらぬ人が多いのではないだろうか。

写真は現行のスーベレーンのイメージ写真。ペリカンの代表的シリーズで5種類のボディサイズがあり、最良の筆記具バランスを選ぶことができる。

1929年頃に製作されたポスター。この絵が最初の透明ペリカン万年筆だ。ギュンター・ワーグナーはピストン吸入機構にインクフィーダー技術を追加し、この特許を新しく彼の会社名で再取得している。右下のペリカンのマークが現在とは異なっているのにお気づきだろうか。

ペリカン社のアーカイブに残されている1900年頃のプライスリスト。最も重要な筆記用インクとコピー用インクに2001、3001、4001、5001がラインナップされている。後に6001も追加された。

ドイツ北部に所在する美しい都市ハノーバーの20世紀初頭のペリカン本社。

Souverän 1000カラーはブラックとグリーン。シリーズの中で最も大きいサイズのモデルであり、弾力性のあるペン先が生み出す、毛筆のような書き味を好むファンが多い。最もペリカンらしい一本。(ブラック/グリーン)

Souverän 400(ホワイト)
1950年に発売されて以来、わずかのデザイン変更のみで60年以上、中心的モデルであり続けるロングセラー。ピストン吸入式。ロジウム装飾14金ペン先。

Souverän 400(レッド)

Souverän 400(ブラック)

Souverän 400(ブルー)

Souverän 400(グリーン)

Toledo M900
彫金細工で栄えたスペインの古都の名を冠した現代版の名品「トレド」。100を超える工程と1ヶ月以上の日数が費やされる職人技は圧巻。1本ごとに製造番号が付く。

Ductus P3100
ペリカンの万年筆には伝統的なインク吸入式が多いが、こちらはカートリッジ専用万年筆。ブラスのキャップにスマートなピンストライプ。フラットな18金ペン先が特徴。


初出:ワールドフォトプレス発行『モノ・マガジン』 2012年10月2日号


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土居輝彦(teruhiko doi)
  • 1982年より㈱ワールドフォトプレス社の雑誌monoマガジン編集部へ。 1984年より同誌編集長。 2004年より同社編集局長。 2017年より同誌編集ディレクター。 その間、数々の雑誌を創刊。 FM cocolo「Today’s View 大人のトレンド情報」、執筆・講演活動、大学講師、各自治体のアドバイザー、デザインコンペティション審査委員などを現在兼任中。