【腕時計を読む!#20】ロレックス・パネライ 伝説のダイバーズウオッチ 第2回:イタリア海軍秘密工作員エジプト海底決死作戦 後編

Produced by Editorial Staff of the World Wristwatch Mugazine
Text/Tomoko Kayama
Report/Stephan Ciejka
Thierry Serna
Photographs/Courtesy of Officine Panerai
Courtesy of Antiquorum Auctioneer
Stephan Ciejka
Yoshihisa Kumagai
Yasuji Yushina
Illustration/Mototaro Hasegawa
Special Thanks to Officine Panerai

1992年5月15日発行『世界の腕時計』No.10より転載

50年ぶりに地中海をわたりヨーロッパへ
英雄たちのパネライ・ダイバーウオッチ

1991年パリのノミの市に一人のエジプト人が時計を持ち込んだ。この時計がそれである。彼の父は十数年前、アレキサンドリアの露店でたまたまこの時計を見つけ、裏蓋を開けるとロレックスと刻印されていたため購入したらしい。取材でパネライ社に古くから居るエンジニアに調べてもらったところ、この時計はまさしく1941年にアレキサンドリアを攻撃したコンバットダイバーのものだと言う。エジプトへの攻撃はこの1回だけだからだ。コンバットダイバーは作戦を遂行するとすばやく装備を脱ぎすて、民間人になりすまし逃亡することになっていた。大戦史上に残るアレキサンドリア奇襲に使用されたパネライの時計が50年ぶりに発見されたのである。

モルガンを前にして、このイタリア人将校は、「あんたの船はあと15分以内に吹っ飛ぶだろう」。青ざめる兵士たち。スピーカーから「この船はイタリア軍に襲撃された」という避難命令。そして2人は再び、自分たちが300㎏もの爆発物を仕掛けた船倉に戻された。ここで2人は自ら仕掛けた爆弾で命を落とすのでは、という恐怖に身を震えさせていた。

すると、突然、爆発が起きた。衝撃。煙り。揺れ。逃げ惑う兵士たち。しかし、奇跡的に2人のイタリア人工作員は命をとりとめた。その一人、デュラン・デ・ラ・ペンネは後にこのときのことを、こう書き残している。

「凄い衝撃で船はぐらついた。灯が消え、煙りが蔓延した。船は左舷の方に傾いた。水面すれすれの舷窓から外に出られるのではないかという希望をもって、舷窓を開けた。船は傾き続けているから、船倉にいるのは安全ではない。梯子によじ登ると、開いているドアがあったので、後方に向かって走って行った。わたしは一人ぼっちだった。通路に2人の乗組員が立っていた。艦長に相棒のビアンキの行方を聞いたが、答えはなかった。柱時計をみると、6時15分だった。最後尾まで行って、クイーン・エリザベス号に目を走らせる。500m後方にいた。何秒か過ぎると、今度はクイーン・エリザベスが吹っ飛ぶ番だった。船が何センチか持ち上がり、煙突からくず鉄のかすが飛び出して来るのがみえた。重油が流れだし、海面は汚染されてしまった。一人の将校が来て、我々が他にも爆弾を仕掛けたのかどうか、名誉にかけて答えてくれと尋ねた。私が答えなかったので、船倉に連行された。15分もすると、士官室に連れて行かれた。 そこで私はビアンキを発見したのだった」

デュラン・デ・ラ・ペンネとエミリオ・ビアンキは1943年9月に結ばれた英伊休戦協定の時までイギリス側の捕虜となったのだ。

さて、この2人の他にも、クイーン・エリザベス号と、同じようにアレキサンドリア港に停泊していたタンカー・サゴナ号に爆弾を仕掛けたイタリア海軍工作員たちがいる。アントニオ・マルチェリアとスパルタコ・シェルガット、それにヴィンチェンツォ・マルテロッタとマリオ・マリノだ。彼ら6人はいったいどのようにしてアレキサンドリア港のイギリス艦隊を爆破させることに成功したのだろうか。

イギリス艦隊壊滅を狙うイタリア海軍のアレキサンドリア襲撃作戦の計画は、秘密裡に進められていた、水雷作戦であった。作戦の成否を担う6人は、十分な特殊訓練を受けた、強靱な精神力をもつ男たちだ。それは生きて帰ることも不確実な、非常な危険を伴う任務であることは、想像に難くはない。

1941年12月3日23時、イタリア海軍第10艦隊の潜水艦シレ号はイタリア北部の港ラ・ スペツィアを出港し、エーゲ海のレロ島に向かった。艦長は海軍の信頼厚いボルゲーゼ。 GA3作戦が開始されたのだ。演習という名目で航海にでたが、ボルゲーゼ以外は潜水艦の乗組員すらこの任務の真の目的は明らかではなかった。12月9日、シレ号はイタリア潜水艦隊のベースであるレロ島のラゴ湾岸に係留された。水深が深く、避難するには絶好の場所だ。ここからエジプトまでの距離は450キロ程だった。やがてイタリアから調整を済ませた水雷艇を携えてイタリアから技術者が、また12日には実践部隊の隊員が到着した。全隊員は海岸に停泊中の輸送船アスパラ号で最後の作戦会議をしながら、決行の時を待った。

出発は14日と決定された。そしてこの朝、シレ号は秘密裡のうちに出航した。イギリス軍が仕掛けた水中聴音機、警報監視装置網、機雷原ゾーンなどを避けながら、慎重に水中を進んでいった。

艦長は天候を見ながら、作戦の最終段階の機を待った。そして18日夜、決行が決定されたのだ。エジプトの海岸近くにいたシレ号は1日中、潜水したまま、海底すれすれに音もなく、進んでいた。18時40分、アレキサンドリアの北部防波堤から1.3マイル離れた、水深15mのところに位置を定めた。全くの間だ。海は穏やかで作戦の最終段階には理想的な状態になっていた。シレ号は16時間に及ぶ盲目航海の後、予定位置に正確に到着したのだ。

水雷艇の操縦士たちは位置についた。黒のコンビネゾンを着込み、酸素ボンベを背負い、音もなく水中にすべりこんだ。6人はそれぞれの攻撃分担を決め、その標的を目指して進んだ。ヴァリアント号を目指した操縦士のデュラン・デ・ラ・ベンネは32000トンの船体の姿を認めた。船体から30mのところに、水面に魚雷防止用ネットが突き出している。時計をみると2時19分だった。船体の下に水雷艇をおろしたが、このとき水雷艇があまりにも遠くに落ちてしまった。どんどん急降下する水雷艇。危険が迫る。そのうえ振り返ると、助手のビアンキの姿がない。水面に浮上してはみたがやはり彼の姿は見えず、再び海底すれすれに戻った。すると水雷艇のスクリュウがステンレスのケーブルに挟まり、抜けない。こうなったら、腕につけたコンパスで方向をさぐりながら、自分の腕で水雷艇をかかえてヴァリアント号の船底にまで運ぶ方法しかない。息たえだえになりながら水雷艇を引っ張り出し、「ブタ」のような水雷艇を引きながら、40分がかりで船底にたどり着いた。そして起爆装置を6時にセットした。

水面へとあがると、ブイにひっかかり半ば気を失っているビアンキを発見したのだった。しかし、彼らはヴァリアント号の見張りの目に止まり、捕虜となる運命が待っていた。

【第3回に続く】

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