【腕時計を読む!#18】ロレックス・パネライ 伝説のダイバーズウオッチ プロローグ

『世界の腕時計』編集部がオフィチーネ・パネライという名を初めて知ったのは、1980年代後半だった。取材に訪れていたジュネーブで、偶然に出会ったアンティーク・ウォッチ・ショップを経営する知人からオークション・ハウスのアンティコルムが下見会を開いていることを教えられた。「いったいどんなものだろうか」と興味半分でそれを覗きに行った。そこで目に入ったのが直径70㎜近いコンパスや50㎜もある腕時計だった。説明には「パネライ製イタリア軍用」とある。当時の編集長は世界各国の軍用時計のコレクターにして研究家であり、それを見た途端に当然のごとく強い興味を抱いた。こうしてドイツ特派員やフランスのジャーナリストたちを動員して、取材を開始した。そして1992年にはその結果を16ページの記事として『世界の腕時計』No.10に掲載。1997年にパネライがリシュモン グループ傘下となる以前であり、今日の同社の原点を知る資料のひとつといえるのではないだろうか。

Photo/ⒸPhilips Text/Tomoko Kayama

今回は、『世界の腕時計』No.147より「オークションに出品された、パネライの歴史を語る4モデル」をプロローグとして転載。そして次回から5回に分けて、前述の『世界の腕時計』No.10に掲載された「ロレックス・パネライ 伝説のダイバーズウオッチ」を転載する。

1992年5月15日発行の『世界の腕時計』No.10。

オークションに出品された、パネライの歴史を語る4モデル

2020年11月30日に香港で開催されたフィリップスのオークションでパネライのヒストリカル・モデル4点が出品された。これらの時計は1950年代後半から1960年代にイタリア軍やエジプト軍のために製造され、軍用に特化した精密機器を製造していた時代のパネライを物語るものとして重要な意味をもつ。

4点はすべて推定落札価格を大きく上回った金額で落札された。なかでも“パネライ ルミノール マリーナ ミリターレ”は推定された価格の3倍以上の21万1270ドル(約2200万円)となった。

ところでパネライは1997年にリシュモン グループ傘下となって国際市場に向けた展開を開始したが、それ以前の1993年には初めて民間に向けた “ルミノール”、“ルミノール マリーナ”、そして “マーレノストゥルム” を限定で発売した。小誌では1992年にパネライの特集を企画した。これは一般に向けてパネライの存在を伝えた、世界的にみても稀な記事であったと思われる。そしてこれをきっかけに、パネライは “ルミノール” を民間用に発売したといわれる。

「パネライ ルミノール マリーナ ミリターレ」。1960年代に30個が製造されたRef.6152/1の最初のモデル。ケースは直径47㎜のSS製。Ref.6152/1はパネライが蛍光塗料にトリチウム・ベースの “ルミノール” を採用した初の時計であった。ジョゼッペ・パネライは1949年にルミノールの特許を取得したが、イタリア海軍に納入した時計には1965年頃までラジウム・ベースの “ラジオミール” を採用していたことから、この時計でルミノールの存在を広めたいという意図があったという。ルミノールの発明から10数年が経っていたが、1964年にスイス政府が蛍光塗料にラジオミールを使用することを禁止し、それに替わるものとしてトリチウムが使われるようになり、パネライにとってはイタリア海軍にルミノールをアピールするには好機到来であった。

そして第2次世界大戦中に納品されずに残っていた30個のRef.3646のケースを使い、ラグをワイヤー式からケースに溶接する方式に変更。またムーブメントもロレックスのCal.618に替わり、約8日間のパワーリザーブをもち、9時位置にスモールセコンドを備えたアンジェラス製手巻きのCal.240を搭載した。こうして完成した30個はイタリア海軍の高官と第2次世界大戦で活躍したヒーローたちの家族に贈られたという。

推定落札価格はUS$30,800~US$61,500、落札価格はUS$211,270(約2200万円)。

「ラジオミール パネライ」。1956年に製造されたRef.GPF 2/56。GPFはグイド・パネライ&フィグリオの略で、パネライが自社で開発し、製造した初めての時計であった。これ以前にはロレックス・オイスターをベースにパネライ製の文字盤を組み合わせてロレックスで製造が行われていた。Ref.GPH 2/56は “エジツィアーノ” と呼ばれるエジプト海軍向けに製造されたものだが、当時のパネライとロレックスの契約ではロレックス製パネライをイタリア以外の国に販売することは禁じられていた。そこで1955年にエジプト海軍からの依頼を受けたパネライは、自社で新たに腕時計を開発する必要があった。そこですでに試作をしていた、防水性を高めるためのブリッジ型のクラウン・プロテクターを初めて採用し、また5分刻みの目盛りを付けた回転ベゼルを備えたダイバーズ・ウォッチを製造したのだった。

ケースは直径60㎜のSS製で、約8日間のパワーリザーブをもち、9時位置にスモールセコンドを備えた手巻きのアンジェラス240を搭載する。このムーブメントは本来は懐中時計用であり腕時計に搭載されることはなかったが、アンジェラス・ブランドを所有していたシュトルツ・フレール社はパネライの腕時計のために通常の15石を17石に変更して、納品した。

1956年10月には第2次中東戦争(スエズ危機)が勃発し、この戦争でエジプト海軍のダイバーたちはこの時計の初期型を着用したといわれる。

推定落札価格はUS$48,7000~US$100,000。落札価格はUS$178,773(約1883万円)。

「ルミノール」。1960年代製のRef.6152-1。Ref.6152-1のなかでもケース・ナンバー124614はプラスチック製の回転ベゼルを備えたプロトタイプを意味し、4個のみが製造された。ケースは直径47㎜のSS製で、手巻きのロレックス618を搭載する。

ロレックスが製造し、イタリア海軍に納入されたパネライの腕時計は、吐いた酸素を再び吸う “酸素リブリーザー” を装着して潜水を行うためのもので、水深12mで最長5時間の潜水が可能だった。気泡が出ないため、敵に気づかれないという利点があった。しかし水中での作業には向かないため、1943年ジャック・クストーとエミール・ガニオンが開発した自給式呼吸装置のスクーバが職業ダイバーに次第に普及した。この方式の場合、潜水時間と浮上する際の減圧停止が重要であり、ロレックスの “サブマリーナー” のようにダイバーズ・ウォッチには潜水時間を計測するための回転ベゼルが付けられるようになった。

イタリア海軍は1964年頃には酸素リブリーザーであってもスクーバであっても使うことができる、回転ベゼルを備えた自動巻きのエテルナの “スーパー・コンチキ” を購入したという。

こうした動きのなかで出遅れていたパネライは、イタリア海軍用に製造したRef.6152/1の在庫を抱え、時代に即したダイバーズ・ウォッチの必要を痛感し、新たなアイデアを必要とした。そして生まれたアイデアのひとつが、プラスチック製の回転ベゼルをプレキシ・ガラスの風防に取り付けたRef.6152/1であった。これは当時のG.パネライ&フィグリオ社の精密加工技術を示したものであったが、衝撃に弱く、ベゼルが外れやすいため、オリジナルの状態を保ったものは非常に数少ない。

推定落札価格はUS$48,7000~US$100,000。落札価格はUS$162,521(約1712万円)。

「ルミノール パネライ」。1960年代に製造されたRef.6152/1。ケースは直径47㎜のSS製で、ムーブメントはロレックス製手巻きのCal.618を搭載する。今日のパネライを象徴する半月型のクラウン・プロテクターは前ページにある1956年製のGPF2/56で初めて採用された。その後、それまで製造されていたロレックス製のクッション型のRef/6152/1のケースを改造し、また特徴的なロレックスの大型リュウズの径を大きくし、厚みを減らしてクラウン・プロテクターが取り付けられた。そして1955年にパネライはイタリア海軍に納入するために、500個の製造をロレックスに注文したが、実際にこれらの時計がイタリア海軍に納められたのは1950年代の終わりと推定される。文字盤に「ルミノールパネライ」とあるように、蛍光塗料にはルミノールが使われた。

ところでフィリップスの香港オークションに出品された時計は奇しくも1992年に『世界の腕時計』の表紙を飾った時計でもあった。そしてこのとき小誌は16ページにわたるパネライの歴史についての記事を掲載した。オークションのカタログによると「この記事を通して日本の時計コレクターたちから多くの反響を得て、オフィチーネ・パネライは1993年に “ルミノール” を再び製造することを思いついた」という。そして「雑誌に掲載された写真と出品された時計を比べると、38年の間この時計はまったく触れられることがなかったことがわかる。まさにタイムカプセルといえる」と記している。

推定落札価格はUS$30800~US$48640。落札価格はUS$116121(約1209万円)。

【次回、第1回へ続く】

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