さようならミスター平成ゴジラ 追悼・薩摩剣八郎さん:特撮ばんざい! 第31回


昭和ゴジラシリーズで、ゴジラ屈指の強敵として今も人気のヘドラ、ガイガンを演じ、1984年『ゴジラ』から1995年『ゴジラVSデストロイア』まで7作品でゴジラを演じ抜き、パワフルでパッション迸る名場面の数々で、70年に渡るゴジラ史の中でも稀な黄金時代を支えた薩摩剣八郎さん。2023年12月16日に突然の訃報が伝えられて、幅広い世代のゴジラファンが衝撃を受けた。不動のお正月映画として大ヒットしていた最盛期のゴジラは薩摩ゴジラだった。観客動員数の合計は2330万人にも達する。圧倒的な迫力の薩摩ゴジラは、ゴジラ育ちの多くの人々の心に残り、未来の新たなファンも魅了していくだろう。稀代のスーツアクターの功績を、素顔のスナップと、弊誌『モノ・マガジン』の記事で振り返る。

文/モノ・マガジン編集部

「ゴジラの中にはこう入っていたんだよ!」。所作と姿勢を見せる薩摩氏。そして真剣な眼差し。心も体もゴジラになりきっている。
場所は、かつて東宝映像美術の作業棟にあった階段。背景は、今も東宝スタジオの正門に立つゴジラブロンズ像の製作時に描かれた実寸図。薩摩氏の演じた重厚なゴジラスーツも、ここで同じように生み出された。
VSシリーズの重厚で繊細なゴジラ造形を率いた小林知己氏(右)と薩摩氏。久々の再会で思い出話に笑顔。
歴代ゴジラアクター勢ぞろい。「俺のゴジラ演技はこうだ!」と三者三様のゴジラ歩き。右が1984年の復活ゴジラと1989~1995年の平成VSシリーズの薩摩剣八郎氏、中央は1954年~1972年の昭和シリーズの中島春雄氏、左は1999~2003年のミレニアムシリーズの喜多川務氏。
カメラに向かって、単独でゴジラ歩行の薩摩氏。
右から薩摩剣八郎氏、中島春雄氏、喜多川務氏。
ゴジラを挟んで、ゴジラの構えの薩摩氏と、シェー!でおどける中島春雄氏。
中島氏と薩摩氏。
以後は2023年3月16日号の弊誌誌面から。薩摩氏が演じたガイガンのS.H.MonsterArts。
同じくS.H.MonsterArtsのガイガン。巨大な爪で身構え、威嚇する、悪役らしい決めポーズも印象的な名演だった。
薩摩氏が最初に演じた怪獣、ヘドラは大変重いスーツで、煙突の煙を吸うシーンでむせ返るなどの苦労もあった。スタイリッシュな色彩にアレンジされたCCPのソフビフィギュア。
1989年の『ゴジラVSビオランテ』で平成ゴジラシリーズを切り拓いた大森一樹監督の追悼記事。寄稿は切通理作氏。真夏の特撮大プールで、大森監督と川北紘一特技監督がガッチリ握手する。その向こうで薩摩ゴジラが吼える。黄金時代の始まりを象徴する写真。
薩摩氏が最後に演じたゴジラは、『ゴジラVSデストロイア』の巨体が赤熱するバーニングゴジラ。瀕死の状態で暴れ回り鬼気迫る迫力だった。発光とガス噴出の仕掛けを搭載した100kgを超えるスーツで、完全燃焼する大熱演だった。

示現流剣術で鍛錬を積む武道家でもあり、名文家でもあった。活き活きした語り口の作品エピソードとユーモアに溢れる著書は、いずれも必読だ。

PROFILE
薩摩剣八郎

さつま・けんぱちろう
1947年5月27日鹿児島県生まれ。川崎製鉄勤務を経て、日活映画の俳優となる。三船プロダクションで時代劇に出演。1971年、『ゴジラ対へドラ』でヘドラ役で出演。当時の芸名は中山剣吾。翌年1972年の『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』と『ゴジラ対メガロ』(1973年)ではガイガン役。1984年の『ゴジラ』で初めてゴジラを演じて、1995年の『ゴジラVSデストロイア』まで、7作品のパワフルな演技とアクションで、薩摩ゴジラと呼ばれる独自のゴジラ表現を創り上げた。1994年の『ヤマトタケル』でヤマタノオロチを演じている。1985年の北朝鮮映画『プルガサリ 伝説の大怪獣』では、日本の特撮スタッフと共に、北朝鮮に渡って主役のプルガサリを演じた。テレビでは『サンダーマスク』(1972年)主役ヒーローのサンダーマスクや、『風雲ライオン丸』(1973年)のタイガージョーを演じている。『ウルトラマンA』(1972年)では、第13話「死刑!ウルトラ5兄弟」と第14話「銀河に散った5つの星」で、客演のウルトラ兄弟を演じている。2023年12月16日、間質性肺炎で死去。76歳。

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