『チャーリー・レーション・クックブック または 兵士の飯はうまいに越したことはない』の表紙。
ベトナム戦争(1955〜1975年)で戦ったアメリカ兵たちの腹を満たしたのが、MCIレーション(Meal, Combat Individual、個人用戦闘糧食)、通称Cレーションだ。ざっくりだが、1958〜1980年に支給されていて、主菜、主食、デザートのユニット缶で1食を構成していた。
このMCI、1回目に食ったときには「うまい!」という人も少なくないようだ。が、なにせ戦場に行ったらこればっかり食うワケだから、正直飽きる。それに戦地ではMCIを暖めるための火を使えない。冷たいまんまじゃ、いくらうまく作ってあっても味気ない。つまり、味変が必要だったのだ。
平時であればテーブルの隅でおとなしくしているタバスコもヘリから装甲車、戦闘服からレーションの缶までオリーブグリーン一色だったベトナムではその色だけでも大きな存在感を放った。この真っ赤な小びんはたとえ使わなくても食卓を彩り日常生活を思い出させてくれる優れ物だった。
ベトナム戦争が長引くうちに、MCIと味変の雄であるチリソースの仲が切っても切れないものになった。そんな中、チリソースの第一人者タバスコで有名なマキルヘニー社は、MCIに手を加えて食生活を豊かにするためのレシピブックを作ったのだ。タバスコが詰め込まれたケースに同封されてベトナムに送られたこの本は、言うなればベトナム戦争限定の付属品でコミカルなイラストと簡単な調理法が記されていた魅力的な一冊である。ここでは、その一部を紹介しよう。
この2ページで、レーションがナポレオン・ボナパルトの時代から始まったことと、兵士にとってただの食事ではなく、うまい飯がいかに大切なことであるかを説いている。
レシピブックで紹介されている料理はビーフステーキのパイ包みや日替わりスープ、そしてプリンとバリエーション豊かで料理名もBATTLEFIELD FUFU(フフは餅に似たアフリカ料理)やPATROL CHICKEN SOUPなどミリタリーならではのセンスが感じられる。レシピの中にはバースデーケーキまであり、DユニットのパウンドケーキにBユニットのチョコレートキャンディと牛乳を混ぜて煮たソースをかけろとの事で、シンプルながら美味しいケーキになりそうだ。
ボウイナイフの上で火にかけられているのは当時流行した「Cレーションピザ」でBユニットのクラッカーを生地代わりに使いMユニットの肉とチーズスプレッドで混ぜ合わせた具材を乗せてタバスコをかけた代物。マキルヘニー社が単調になりがちな戦場メシと兵士の苦悩を知っていたのは二代目社長のウォルターマキルヘニーが海兵隊員として第2次大戦に従軍し、太平洋戦線で日本軍と戦った経験を持っていたからで退役時に准将まで昇級した彼には “タバスコマック” という愛称があった。
レシピブックでは食材の割合をMCIのスプーンや缶で計った分量で示している。ジャングルで戦う兵士の荷物は30キロ近くになり軽量カップや量りを持つ余裕はとてもなかったので実に親切で合理的な作りである。
ここで紹介しているのは「ガードリリーフ エッグベネディクト」と「ビーフステーキとクロエ」のレシピ。
ここで紹介しているのは「フルーツソース添えデーツプディング」と「ピーカンケーキロール ピーナッツバターソース添え」のレシピ。そして、「ビスケットと紅茶」がセットされていることのありがたさ。
手紙を読む兵士の隣にはMCIと謎の容器や鍋が並べられており戦場メシを少しでもごちそうに近付けようとする努力が伝わってくる。MCIを使った味の研究が日常的に行われていたベトナムではこのレシピブックがかなり役立った様だ。
実に楽しそうな表情で食事の準備をする兵士たち。多種多様な人間が集まる軍隊ではどの部隊にもあり合わせの食材でおいしい物を作る魔法使いの様な兵士がいる。
手前のひょろっとした兵士を指して、「彼はこの部隊で一番タフな男だ!『C』レーションにはタバスコソースをスプーン半分入れる」。MCIが温められないとなると兵士がまるで競い合うようにタバスコをかけて味付けや味消しに役立てていたのが、かけ過ぎて腹を下してしまう者も少なくなく、使用には慣れと注意が必要だった。
ベトナムではほとんど条件反射的に用いられていたタバスコは1年間の従軍期間で兵士たちをすっかり虜にしてしまったようで、アメリカに帰国した後も手放せなくなった者が大勢いたらしい。レシピブックの最後には「ご友人にも『チャーリー・レーション・クックブック』を贈りたいですか? 追加の無料コピーをご希望の場合は、マキルヘニー社までご連絡ください」。そして「げっぷ」とある。