連載・広坂正美のいま、そしてこれから
11回

RC(ラジコン)カーレースにおいて、世界タイトル獲得14回、全日本タイトル53回など、前人未到の記録を残したレジェンドドライバーの広坂正美(ひろさか まさみ)氏。世界記録保持者でもある広坂氏は、2019年に長年所属したRCカーメーカーを退職。フリーランスでの活動の後に、2021年秋よりRCメーカー・ジーフォース(G FORCE)のスタッフとなった。そんな広坂氏の“いま”に注目し、現在の活動や今後の展開をレポートする連載企画の第11回は、これまでとは趣向を変えて、世界選手権でのエピソードや、海外遠征に関する思い出などを紹介。加えて6月開催のイベント情報もお届けする。

【第11回】世界で戦った広坂正美

広坂正美

1970年2月26日生まれ。京都府で幼少~学生時代を過ごし、高校3年生の時にRCカー世界選手権において日本人初のチャンピオンに輝く。高校卒業と同時にRCカーメーカーのヨコモに入社し、以降はヨコモの社員ドライバーとして、世界戦をはじめとする数多くのレースで優勝を飾った。2019年にヨコモを退社してさまざまな活動を行っていたが、2021年10月末にRCメーカーのジーフォースに入社した。


右も左もわからなかった初挑戦の世界戦

 最終的には14個のRCカーレース世界タイトルを獲得する広坂氏だが、最初の一歩は苦難の連続だった。

 世界選手権初挑戦は1986年にアメリカのラスベガスで開催された1/12スケール電動オンロードカー大会。当時の広坂氏は高校2年生で、まだ全日本タイトルも手にしてはいなかった。この大会にはプライベーターでの参加であり、メカニックを務める父の正明氏とふたりでアメリカへと飛んだ。広坂氏にとってはこれが初海外でもあって、まずは言葉の違いが壁になった。英語のみで行われるレースのアナウンスは当然として、食料の調達にも苦労したという。

 ホテルのイベント会場に仮設されたサーキットでのレースは、広坂氏をはじめとする日本勢にとって慣れないものだった。大会期間中はホテル内のカジノを通過してレース会場に通っていたのだが、それもまた不思議な感覚だったそうだ。

 結局このレースでの成績は総合16位。総参戦者は112名で、初参加にして16位は堂々たるものであったが、広坂氏には「悔しい」という思い出しか残っていないとのこと。だが、この経験が後に驚異的な勝利数をあげる原動力になっていたのも間違いない。

初挑戦の1/12電動オンロードカー世界選手権(1986年)で正明氏ハンドメイドの愛車を手にした広坂正美氏(左)。右は当時国内最強といわれた高麗淳一選手。この頃の広坂氏の目標は「打倒! 高麗選手」だった。
1886年世界選手権のレース風景。左端が広坂正美選手で、当時正明氏が経営していたRCショップ&サーキットのKSC(京都サクラサーキット)Tシャツを着ている。

日本人初のRCカー世界チャンピオンに

 悔しい思いとともに帰国した広坂親子は、休む間もなく今度は1/12スケール電動オンロードカーの全日本選手権に挑んだ。この大会で劇的な初勝利を飾ることができ、その後全日本選手権ではほぼ負けなしの常勝状態になるのだが、ここではその話を置いておく。

 資金やその他の理由から、86年のラスベガス大会が最初にして最後の世界選手権挑戦と考えていた広坂親子だったが、世界戦16位や全日本優勝などが契機となって、各RCメーカーからのサポートを受けられるようになった。そこで次のターゲットを1987年開催の1/10スケール電動オフロードカー世界選手権イギリス大会に定めて猛練習を開始。それまで本格的にレースをしたことのないオフロードバギーは正美&正明氏にとって初めての挑戦だったが、正美氏は操縦を、正明氏は車体セッティングを極めるための努力を続けたという。

 また、言葉で苦労した経験から英語の勉強もスタート。幸いなことに、自宅近くのキリスト教教会で英語を無料で学ぶことができた。元々練習量の多いことで知られる広坂氏ではあったが、87年世界戦を目標にした練習は質量ともにそれまでを大きく上回るものだった。

 そして迎えたイギリスでの世界選手権。サポートメーカーのスタッフと早めにイギリス入りした広坂氏は現地で正明氏と合流し、練習から好調な走りを披露した。電動オフロードモデルの世界選手権は2WD(2輪駆動)と4WD(4輪駆動)の2クラスが行われるが、先に開催された2WDクラスではオフロード世界戦初出場にして予選トップ10ドライバーのみが出場できるAメイン決勝に進出を果たした。これだけでも十分な快挙といえたが、クライマックスは4WDクラスで訪れた。

 2WDクラスでAメイン入りを果たし、4WDクラスの練習走行でもその速さを見せていた広坂氏に、地元イギリスのシュマッカー社から最新マシン貸与のオファーがあった。正美氏が使用を予定していたマシンもまたシュマッカー製だったのだが、貸与されるマシンは各部に改良を施した世界戦用プロトタイプだという。シュマッカー社は、広坂氏には数台しかないそのプロトタイプをドライブする資格があると判断したのだ。

 この申し出を受けた広坂親子は、一度も操縦したことのないプロトタイプを予選第1ラウンドから投入。ここでまさかのトップタイムをマークし、最終的に予選を1位で通過。Aメイン決勝レースでも世界の強豪とわたり合い、見事に王座を獲得した。日本人がRCカーレースの世界選手権でチャンピオンを獲得するのはこれが初めて。広坂正美17歳、高校3年生の夏であった。

イギリスのRCカーメーカー・シュマッカー社のオフィスには、現在でも1987年の世界戦で広坂氏が優勝を飾ったマシンが保管されている。ボディがグリーン&ファイヤーの“マサミカラー”ではないのは、ペイント済みのマシンを貸与されたため。

そして世界最強のRCカーレーサーに

 見事目標を達成して世界チャンピオンとなった広坂氏は、高校を卒業すると同時にRCモデルメーカーのヨコモに入社。父の正明氏も開発スタッフとしてヨコモに入社している。これでレースに臨む体制もさらに強化され、入社年の1988年には、前大会で悔しい思いをした1/12スケール電動オンロードカー世界選手権で優勝を決めた。

各カテゴリーの世界選手権は2年ごとに行われ、1989年に開かれた1/10電動オフロードカー世界選手権オーストラリア大会では、初の2WDクラスチャンピオンに輝くとともに、4WDクラスの連覇も達成。この時点で電動RCカーの世界タイトルはすべて広坂氏が保持するということになった。

 広坂氏の活躍はその後も続き、最終的に14回の世界選手権優勝を成し遂げる。18年間の世界タイトル保持期間と合わせて、これは世界記録となっている。世界各国のRCカーレーサーが同氏に挑んで敗れ、勝利した時には大きな話題になった。それだけ広坂氏が偉大な存在であり、第一線より退いてから10数年が経過した現在でもレジェンドと呼ばれるゆえんである。

 自身最後の世界選手権は2008年の1/10電動ツーリングカー・タイ大会。「このレースで王座に返り咲けなかったら引退しようと考えていた」との決意で臨んだこの大会では惜しくも3位に終わり、年末に引退を発表した。

「すでに年齢的にもキツくなっていて、このまま続けてボロボロになるまでやるか、それともまだ優勝争いができるうちに惜しまれつつやめるか、このふたつを考えて後者を選びました」と広坂氏。世界選手権だけでなく、全日本選手権をはじめとするビッグレースからも引退となったが、最後に出場した1/10電動ツーリングカー全日本では見事チャンピオンに輝いている。

広坂氏の高校卒業後に広坂親子でヨコモに入社。父・正明氏(左)とともにレース用RCカーの開発とレース参戦を精力的にこなしていた。
1991年の1/10電動オフロードカー世界選手権では2WDクラスで優勝を飾る。これで通算の世界タイトル獲得数は5に。
1996年の時点で通算世界タイトル獲得数を8に伸ばしていた広坂氏。ともにタイトルを獲得したマシンたちと記念撮影を行った。
2007年に日本の石川県で開催された1/10電動オフロードカー世界選手権。この大会では日本の若手&アメリカ勢に対して苦戦してしまった。
自身最後の世界選手権となった2008年タイ大会では3位に入賞。優勝したドイツのマーク・ライナート選手(左)を祝う。
現在は14回の世界タイトル獲得車のうち11台が広坂親子の手元にある。残り3台のモデルはいずれも未発売のプロトタイプだったため、メーカー側で保管されている。
2009年に行われた広坂正美引退セレモニーでは、世界タイトル獲得車の14台とトロフィーが一堂に会した。この時は門外不出の“ステルスカー”も公開された。

広坂正美が語る海外遠征のコツ

 86年の世界戦初挑戦では、自身初の海外にとまどうことばかりだったという広坂氏だが、その後は数え切れないほどの遠征を繰り返し、すっかり旅の達人になった。有効期限がくる前に更新したパスポートも数冊におよんだとか。現在は新型コロナウイルス流行の影響もあって海外旅行しにくい状況にあるが、正常化の後には海外を訪れてみたいというmonoマガジンウェブ読者に、海外に行く際の注意点を教えてもらった。

1 時差ボケは寝て解消

 海外に出る際に最初の問題は時差だ。とりわけ時差の大きい欧米では、いかに時差ボケを抑えるかが重要になる。広坂氏が海外に行くのはレース目的であり、時差ボケをなくして最大のパフォーマンスを発揮するのは義務でさえあった。そして時差ボケ解消のポイントはとにかく寝ること。往路の機内はほとんど寝て過ごし、現地に着いたらそちらの時間に合わせて就寝・起床する。これは性格と体質にもよるだろうが、広坂氏はどこでも寝られるタイプとのことで、積極的に寝て体調を整えたという。

2 食事はどうする?

 現地のおいしい食事も海外旅行の楽しみのひとつ。しかし、レースを意識すると必然的にいつも食べている日本食がベストだという。単なる旅行と違い、広坂氏の遠征では荷物の大半がRCカーとその周辺機器になるため、食料を入れるスペースが少ないのだが、なるべく多くの日本食を持ち込んでいた。食事の心配が少なかったレースのほうが好成績を残せたとも。

 ちなみに海外の料理で好きなのはイタリアのピザ、アメリカのタコベル、イギリスのフィッシュ&チップス、香港のシュウマイなど。とはいえ2日で飽きてしまうそうだ。食事の種類だけでなく、食あたりしないような注意も必要。慣れない海外では体調を崩しやすく、ちょっとしたことでも食あたりを起こしてしまうことがある。広坂氏にも食あたりの経験はあり、その際はかなり苦労したと語る。

3 安全には細心の注意を!

 治安のよさという点において、日本は突出していると語る広坂氏。海外ではちょっと目を離したスキに手元の荷物が奪われてしまうといったケースがあり、自身も盗難にあったことがある。海外遠征経験が豊富な広坂氏ですらこうなのだから、海外に慣れていない人はとにかく注意してほしいとのこと。

 ラストは少々穏やかではない話になってしまったが、海外に行くと日本では得られない貴重な体験もでき、交友関係も広がる。苦労もあるが、それをするだけの価値はあるという。

結果的に本戦に参加することはなかったが、2004年にはエンジンRCカーの世界選手権プレレース(前哨戦)に出場した。開催国のブラジルまではとにかく長い旅になったとか。

広坂正美とタミヤショップ

 最後は最新の話題から。広坂氏が新たに所属したジーフォースでは、今年の6月12日にレースイベント開催を予定している。茨城県つくば市のつくばRCパークで行われる「2022 G-FORCE COMPETITION CUP in TSUKUBA RC ARENA」では、単なる速さを競うだけではなく、2万円という決められた予算内でマシンを製作してレースを行う「U(アンダー)20000クラス」も設けられている。

このクラスにサプライズ出場する広坂氏は、タミヤ製モデルを使用して準備を進めることになった。そこで東京の新橋にあるタミヤのアンテナショップ・タミヤ プラモデルファクトリー新橋店を訪れて機材を調達したが、これはタミヤの競合メーカーでもあったヨコモ在籍時代には考えられなかったこと。ショップ側でも広坂氏の訪問を歓迎し、写真撮影を行うとともにサインを掲示した。タミヤと広坂正美という、これまでありそうで実はなかった組み合わせは、多くのRCファンには新鮮に写った。

なお、ジーフォースのYouTubeサイトでは広坂氏のU20000関連動画シリーズがアップロードされている。レース出場を予定している人だけでなく、RCカーに興味のある人もぜひ視聴してほしい。

ジーフォースYouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/channel/UCI6tAOnhph7i0Q5om78GEJQ/featured

新たな挑戦を開始し、精力的に活動を進めている広坂正美氏の動向には今後も目を離せない!

タミヤ プラモデルファクトリー新橋店スタッフの小嶌枝里奈さんと。広坂氏が同ショップでRCカーを購入する時のもようはジーフォースのYouTubeチャンネルで公開されている。
広坂氏が6月12日のG-FORCE COMPETITION CUPで使用するタミヤ製RCカーのネオスコーチャー。きっちり2万円以下の予算で組み上げられている。

写真提供/広坂正美、ジーフォース http://gforce-hobby.jp/


「広坂正美のラジコン街道」:
・第1巻
・第2巻
・第3巻
・第4巻
・第5巻

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連載・広坂正美のいま、そしてこれから第2回
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  • RC(ラジコン)カーの記事を中心に、模型や実車などのメディアで編集・執筆を行うフリー編集者兼ライター。余暇のほとんどを競技用RCカーの走行や整備に費やす立派な(?)ラジコン廃人。9割以上がラジコンの話題で埋め尽くされるブログ「すべては12分の1のために」は、ごく一部の読者に好評継続中。
  • http://1-12thonroad.cocolog-nifty.com/blog

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