2月2日コーヒー特集発売記念 神保町コーヒー名店巡り 第3回(全6回)

「ああ、コーヒーが好きでたまらぬ」のタイトルも目を引くコーヒー特集はただ今好評発売中。目玉記事のひとつ「神保町コーヒー座談会」で、推しコーヒー店として名前が挙がった店を、WEB記事でさらに深堀りする。ぜひ足を運んで香りと味に触れていただきたい。

写真/熊谷義久 文/モノ・マガジン編集部

【DATA】
東京都千代田区神田猿楽町1-5-20 田端ビル1階 ☎03-5244-5655 営業時間 水 11時半~18時、木・金11時半~22時、土12時~21時、祝日12時~19時(ライブ開催日は別)日・月 ・火 定休日(定休日が祝日の場合は営業、翌日以降振替定休有)店名は、村上春樹の初期短編『中国行きのスロウ・ボート』から。コーヒーは自家焙煎豆をネルドリップ。「羊」「象」などコーヒーの名前に村上春樹ファンはニヤリ。コーヒー、フード、ジャズ、ギャラリーなど、店主の白澤茂稔さんのこだわりが、良質な短編集のようにまとめられた店だ。

自家焙煎珈琲・和紅茶と音楽が柱

神田神保町界隈とJR御茶ノ水駅を結ぶ明大通り。その西に位置する錦華(きんか)公園周辺は、元は武家屋敷の庭園だった地域で、高台を背にした落ち着いた佇まい。

錦華公園の斜向かいに位置する隠れ家的なカフェが、「ON A SLOW BOAT TO…(オンアスローボートトゥ)」だ。

今年の3月で「ON A SLOW BOAT TO…」は5周年を迎える。店主は白澤茂稔さん。

神保町は出版業と印刷業の街だが、この場所も、元々は印刷所だったという。その後、クラシック喫茶を経て空き物件となっていた。そして2020年に、脱サラしてカフェ経営を志していた白澤さんの目に留まった。

物件の内見時は、店主ひとりのカフェとしては少し広すぎたが、逆にスペースを活用してライブステージや本棚を設置し、白澤さんの趣味やこだわりが活きた個性的な店になった。上質な音楽や多彩な本を、うまいコーヒーやフードと堪能できて、多くの人が集う心地よい空間となっている。

壁はギャラリーとして活用し、画家や写真家の個展が催されて、店に彩りを添える。

ドアを開けると目に入るのが和菓子屋の長持やちゃぶ台などの古材を使った本棚。京都の独立系書店「ホホホ座浄土寺店」に制作・選書を依頼したもの。

奥にはステージがあり、圧巻の存在感で大型スピーカーが鎮座している。スピーカーは堅牢さと音響効率の高さで知られる米国アルテックの「620B(ユニット604-8H)」で、アルニコマグネットを使った604シリーズの最終形として、1978年に発売された。レコード文化の最盛期を象徴する名品で、このスピーカーを目当てに訪れるオーディオファンもいるほど。

ジャズ・ロックを中心にアナログレコードがラックに収められている。知人などが持ち込んだものも多く、その枚数は1,000枚ほどになるという。

多彩なレコードが棚を埋める。
店のアンプ(Luxman L509FSE)。昨年、創業100年を迎えた名門・ラックスマン製。

営業は週4日。残る3日間のうち、2日間は仕込みに集中する。コーヒーはもちろん、厳選した和紅茶、素材を吟味して丁寧な仕事をした料理、自家製のスイーツなども提供している。お酒もクラフトビールなど、こだわりのセレクト。基本的に毎週土曜日は音楽ライブを開催し、水曜日にも行うことがある。

店のサイズ感を超える多彩なメニューと充実のサービスだが、「柱は自家焙煎珈琲・和紅茶と音楽です」と白澤さんは話す。

ネルドリップコーヒー

白澤さんがリスペクトして、理想としている珈琲店は、かつて吉祥寺の名店として名を馳せた「もか」。井の頭公演の近くで、店主の標交紀さんが研究を重ねた深煎りネルドリップコーヒーの味と香りに、多くのファンが通う店だった。(2007年に閉店)。もうひとつは表参道にあった大坊珈琲店(2013年閉店)。今もファンの多い店主の大坊勝次さんに倣って手回しロースター深煎りネルドリップを志す珈琲人は多い。

注文を受け、コーヒーを淹れる。豆の量はスケールで正確に重さを測る。

白澤さんの「ON A SLOW BOAT TO…」も、「もか」・「大坊珈琲」と同じくネルドリップコーヒーを提供する。

豆は手回しロースターによる自家焙煎。「神田猿楽ブレンド」はブラジル、タンザニア、グアテマラ、コロンビアの4種類を使用。それぞれの豆の特長を、一種類ずつ焙煎加減を調整して引き出し、ひとつの味わいに作り上げ、コーヒーメニューの主力となっている。猿楽とは、付近の地名「神田猿楽町」に由来する。

グラインダーで豆を挽く。

神田猿楽ブレンドは、「羊」「象」「猫」「鵲(かささぎ)」の4種があり、順に、味わいがライトからディープになっていく。このネーミングは、白澤さんが好きな村上春樹の小説にちなむ。村上春樹ファンならニヤリとするだろう。

豆は同じ「神田猿楽ブレンド」だが、豆の量、お湯の量、器(デミタスかマグカップ)の組み合わせで違った味わいとなる。それぞれを飲み比べるのも面白い。

これは3番目にディープな「猫」を淹れている。少し粗めに挽いた豆を使う。ハンドルにネルのフィルター(東屋。大坊珈琲店監修)をつけたドリッパーを使う。

お湯の温度も計測。80℃で淹れる。

「80℃で淹れると、出した時点ではぬるいと感じるお客さんもおられますので、抽出に使うサーバーやカップなどを加熱して、温度を保っています」と白澤さん。

右のサーバー(新潟県燕市富貴堂。阿佐ヶ谷Bnei Coffee監修。)は銅製で熱伝導率が高い。それをサーモヒーターの上に置いて、なるべく温度を保って抽出作業する。

最初はお湯を雫のように垂らしていく。「蒸らし」の段階はなく、丁寧に落として全体にお湯を行き渡らせていく。

お湯が行き渡り、コーヒーが一本の筋になって落ちるようになったら、コーヒー豆の面の高さを一定に保つペースで注ぎ足していく。

出来上がったコーヒー「猫」をカップに注ぐ。カップは長野県松本市のクラフト雑貨店「陶片木」で見つけて発注したこだわりの器。「陶器の色と、すっきりしたコーヒーの味を引き立てる口当たり部分の薄手の造りが気に入りました」と白澤さん。

サーバーに一口分だけコーヒーを残し、器に注いで自ら味見をする。口に含んで「うん」と、白澤さんは小さく頷く。納得できる味のコーヒーをお客さんに提供する。

「猫」は豆20gを使い、80ccのデミタスサイズで、価格880円。コーヒー好きにおすすめ。

最もライトな「羊」。豆は15gで140㏄。マグカップ(JICON。有田焼)で提供される。価格は780円。

木のトレイは東南アジア製で、カップを見つけた店とは別の長野県松本市の雑貨店「チキチキバンバン」で出会った。素朴さがマグカップとコーヒーを引き立てる。

丁寧な仕事と素材選び

紅茶もこだわりの人気メニュー。白澤さんのパートナーのよしこさんが担当し、厳選した「和紅茶」を提供する。緑茶と同じく静岡や茨城、熊本など日本の茶農家が育て、紅茶の段階まで発酵・熟成させたもの。ポットで提供し、さし湯して二煎・三煎と楽しめる。

白澤さんは山口県出身。故郷の瀬戸内地方の特産の瀬戸田レモンをウオッカと氷砂糖で漬け込み、スイーツやアルコールメニューに活用している。他にもカルピスの発酵バター・生クリーム(中沢乳業製)など、一流レストランでも使われる素材を選んでいる。17種類のスパイスをブレンドし、だいこんとトマトとたまねぎの水分だけで煮込んだ特製キーマカレーなど、料理も人気がある。

アルコールも充実(ワイン・ウイスキー・ビールなど)。ビールは、100年を超えるドイツの醸造所の設備を岩手県盛岡市に移した「ベアレン醸造所」の本格クラフトビール。木村硝子のクラフトビール用グラスで香りを楽しみながらいただける。

コーヒー豆の自家焙煎の様子。大坊勝次氏監修のFUJI ROYALの「FUJI手廻しロースター」を使用して、手作業で焙煎している。
通りに面した窓から注ぐ光と、雑貨類に心和む。

スロウ・ボート。つまり「ゆっくり進む船」の店名の通り、「スロウ」な時間に心地よく浸れる店。

人生は船旅に例えられるが、音楽、コーヒー、本••••••旅の道連れにしたい、豊かで大切なものに、神保町でコーヒー店巡りをすると出会える。ここは特にそれを感じる店だ。

店の公式webのトップには、白澤さんの店主口上があり、こう締めくくられている。

「外の世界はあわただしく時間が過ぎていつも何かに追われているようです。ここはすとんと抜け落ちた空間。時計の針は歩みを緩め、時間はたっぷりあります。ここで音楽を聴きゆっくりと過ごしてほしい•••という思いで名前を決めました。
最後を “•••” としたのは、「行先はあなた次第」なので•••」

ON A SLOW BOAT TO…(オンアスローボートトゥ)公式サイト

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