Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 第6回

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?part.3

神が死んだ時代に登場した本物という超越的価値の神話。写真・映画・レコード・コピー機・デジタル技術・クローン。複製技術時代が生んだ近代のキーワード。本物とニセモノ。本物と正統主義。真正性をめぐる文化闘争の混沌の哲理とは。

 

原克/早稲田大学教授。専門は表象文化論、ドイツ文学、メディア論、都市論。近著に『騒音の文明史 ノイズ都市論』(東洋書林刊)がある。著書多数。『モノ・マガジン』で「モノ進化論」を連載中。


左:巡礼地クロイツベルクにある見晴らし台。右:息絶えた息子を抱えるマリア。その目から流れる涙に視線が吸い寄せられる。ヴィートマールシェンに建つ教会にて。Photo/Shutterstock(左:Ina Meer Sommer 右:Wieland Teixeira)

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?ニーチェ(左)とフロイト(右)。ギリシア哲学以来の西洋形而上学を否定した哲学者。無意識に着目し近代的自我を相対化した心理学者。共に19世紀の知の枠組みを超え20世紀の新地平を拓いた巨頭だ。

 ニーチェは言った。「神は死んだ」。(『悦ばしき知識』1882年)

 このとき、孤高の哲学者が言いたかったのは、「何ものにも惑わされぬ真理」(アドルノ「試金」1945年)が失効した。このことであった。

 こうして、神という名の絶対真理が失効したあと、近代の市民道徳は、次のピンチヒッターを求めた。

 それが近代的自我。自律した「自分自身」という枠組みであり、「同一性」という体感だった。

 なぜなら、自分が自分であるという実感は、「何ものにも惑わされぬ真理」のように思われたからである。

 しかし、これも「空念仏」に終わった。なにせ、自分の中には、自分でも分からない「無意識」(フロイト)とやらが、潜んでいるというのだから。

 近代社会は困った。「何ものにも惑わされぬ真理」を、この先、どこに求めたらよいのか。

 哲学者アドルノは、こうした事情を喝破している。

 近代の市民道徳は、「宗教的規範が解体し」(神)、「自律的な規範も形骸化したため」(近代的自我)、「さまざまな概念に身を寄せている」。

 代替品を探しているというのである。

 近代は、さまざまな概念を次のピンチヒッターとして見立ててきた。中でも、もっとも強力なバッターというのは今日、「本物」(Echtheit:エヒトハイト)という概念である。アドルノはこう言うのだ。

 三振に倒れた「神」や「自分自身」に代わって、こんどは「本物」が、バッターボックスに立つというのである。

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?世界の西の果てで天空を背負うアトーラスの像。フランクフルト・アム・マイン中央駅にて。Photo/Shutterstock(Sergieiev)

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?part.3ミュンヘンに建つ聖霊教会。天井のフレスコ画や漆喰彫刻の装飾に誰もが目を奪われる。Photo/Shutterstock(Heilig-Geist-Kirche)

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 Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?

 コックピット・クロックの製造からスタートしたSinn。それまでに培った高度な技術を応用して誕生したのが、傑作品と名高いパイロッット・ウオッチ「155」だ。すでに生産終了だが、その名作の面影を見て取ることができるのが、現行のパイロット・クロノグラフのフラッグシップモデルでもある「103」シリーズだ。

 下の写真は、その「103」シリーズの最初期モデル「103.A.HD」。

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?

 現行の103シリーズでは、以下の「103.B.AUTO」と「103.B.SA.AUTO」がその代表モデルといえるだろう。どちらもコックピット・クロックに不可欠な優れた視認性と正確な刻時機能を継承するクロノグラフだ。

 103.B.AUTOは155からの流れを受け継ぐアルミ製のブラックベゼルとアクリル製風防が特徴。

 103.B.SA.AUTOはステンレススチール製ブラックベゼルとサファイアクリスタルの風防を搭載。2018年より時計内部を乾燥した状態に保ち風防の曇りを防止するArドライテクノロジーが標準装備となっている。

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?

model 103.B.AUTO
ケースサイズ:直径41mm×厚さ15.5mm/重量:74g(ベルトを除く)/ベルト幅:20mm/価格35万2000円(税別価格32万円)
Sinn Official Webへ 

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?

model 103.B.SA.AUTO
ケースサイズ:直径41mm×厚さ17mm/重量:88g(ベルトを除く)/ベルト幅:20mm/ブレス仕様:価格 45万1000円(税別価格 41万円)、カウレザー仕様:価格 41万8000円(税別価格 38万円)
Sinn Official Webへ 

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左:「生きたマネキン人形」。ベルリン・オラーニエン広場のドイツ消費者連盟百貨店KGB展示の「良質な消費者連盟製ストッキング」。(Genossenschaftsfamilie 1934-2.Ende) 右:「選べる美脚」。映画撮影用の身体パーツ。ショーウインドーの展示用マネキンとしても使用可能と謳う。「理想的なマネキン美脚」。(Koralle 1939-3.31)

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?「ヘアクラフト」。頭部に被るヘアドライヤー。ヘルメットの頭頂部に内蔵された小型ファンが回転して乾燥させる。小型蓄電池内蔵でコードレスなので髪を乾かしている最中も「動きも自由だ」と便利な機動性を謳う。(Popular Science 1972-3)

 本物という概念は、かつて存在しなかった。

 ダ・ヴィンチの絵画「モナリザ」を前に、これは本物ですか、と問う者はルネサンス時代いなかった。なぜなら、本物しか存在しない世界で、本物かどうかを問うのは無意味だからだ。

 むろん、当時も贋作はあった。が、所詮は手描き。プロの目はごまかせなかった。

 本物かどうかが深刻な問題になったのは、複製技術時代が到来してからのこと。写真、コピー、デジタル画像、3Dプリンター、そしてクローン技術等。科学技術的に、寸分違わぬ模倣が可能になってからだった。

 ルネサンス時代、「モナリザ」の真贋を深刻に問うことは、事実上ありえなかった。それは、たとえば人間しかいない世界で、人間かどうかを問うのは基本的に無意味なのと同じことだ。

 しかし、フィリップ・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』(1968年)の世界は違う。

 そこでは、人間であるかどうかを問うのは、きわめて重要な意味をもつ。なぜなら、ディックのSF世界では、科学技術に裏打ちされ、人間と寸分違わぬアンドロイドが共存しているからである。

 本物が重要なキーワードになったのは、偽物がひろく社会のすみずみにまで行きわたる時代になってからだった。

 そして歴史的に見れば、本物概念が「発見」された過程には、「近代工業による大量生産という事実が反映している」(アドルノ)のである。

 だからこそ今日、ルーブル美術館の「モナリザ」を前にして、これは本物ですか、と問うことには十分な社会的・文化的正当性がある。

 本物は偽物の時代が生んだのである。

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?

「カセット型テープ『サウンド・ブック』」。レコードとテープの利点を合体した合理的なデザイン。純正ビニライト製テープがカセットに内蔵されている。巻き戻し不要でエンドレス再生が可能。(Popular Mechanics 1955-7)

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Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?ドイツ加工食品の黎明期を飾るクノール社製「豆ソーセージ」。「ソーセージ」とは形状からくる呼称で実際はアルミニウム被覆包装紙で包んだ固形スープの素。豚肉ソーセージではない。(Oikos ca.1907)

 インスタント加工食品は本物ではない。いわば模倣である。

 しかし、本物の真正さを凌駕する模倣があるとすれば、それはもはや別の存在であって、本物との距離感など無効にする、独自な存在ということになろう。

 リービヒの固形ブイヨン、マギー・ブイヨン、クノール・スープ。

 お湯を注ぐだけで、美味しいスープができあがる。都会に住む独り者には便利な食材だ。いずれもドイツ語圏発祥の発明品である。

 ドイツ人化学者ユストゥス・フォン・リービヒは、缶詰工場からでる肉汁を活用することを思い立った。1847年のことだ。

 乾燥スープの素は、すでに1830年フランスで考案されていた。しかし、リービヒの功績は、これを大量工場生産にするシステムを完成したことである。新製品「オクソ」が誕生した瞬間である。

 スイスの起業家ユリウス・マギーは、劣悪な環境で働く労働者に、安くて栄養価の高い食材を提供しようと考えていた。

 折しも1882年の食糧危機、粉スープの開発に取りかかった。市場に22種類のマギー粉スープが並んだのは、それから5年後のことだった。

 ナポレオンの大陸封鎖政策以降、珈琲豆の輸入が断たれたドイツは、独自の科学力で代用珈琲を編みだす。

 カール・ハインリヒ・クノールも、そんな代用珈琲の生産工場を営んでいた。そんな代用食品開発技術が生んだのがクノール粉スープ。1875年のことである。

 本物が手に入らない。

 社会的困窮、経済的格差、国際政治情勢。理由はさまざまだが、食糧事情がひっ迫したとき、ドイツ科学産業は、つねにピンチヒッターを立て、苦難を乗りこえてきた。

 ドイツのインスタント食品の系譜には、それぞれ歴史的背景が潜んでいる。

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?   Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?

左:「マギー社製固形ブイヨン」。オランダ仕様のパッケージ。右:「クノール固形スープの素」。矩形タイプの新型包装で販売経路を全世界に拡張する。円筒形紙製包装タイプは現在も欧州で定番の型式。(Oikosca.1930’)

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?「リービヒ社製『肉エキス』」。「本場南米アルゼンチンの肉牛を使用した真正の肉汁固形スープ」。1867年開催第2回パリ万博に出品して最高級品質の栄誉を賜って以来の「伝統の味」と謳う。(Oikos um 1900)

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?リービヒ社製肉汁エキス「ジビエの宴」。加工技術の改良で繊細な味の多様性を生産できるようになる。伝統的ジビエ料理「野生イノシシ肉」も今や科学技術によって工場大量生産加工品となる。(Oikosca.1920’)

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ピッコロ改良機「U7型」。オーストリア・セレノホン社製「トーキー録音機『ピッコロ』」はセレン光電池を応用し紙製テープ上の光信号を拾う方式。ピッコロ改良機「U7型」は「感光紙テープ」に音響紋様を直接コピーする。光電管ヘッドで紋様を拾う。長さ300mで約11分録音。2トラック式は22分録音。(Umschau 1933-4.24)

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?電磁波の放射の存在を初めて実証したハインリヒ・ルドルフ・ヘルツ(1857〜1894年)を讃えた切手。Photo/Shutterstock(zabanski)

 本物という概念の誕生とともに、ひとつの価値が生まれた。本物主義という神話である。

 本物の方が模倣よりもすぐれている。こうした価値の位階制度である。

 一見もっともらしく思われるし、無害のようにも見える。

 しかし、こうした発想の社会思想的基本構造は、ある種の危険性をはらむものである。

 なぜなら、そこには、「本源にあるもの」が「派生したもの」よりも優秀だ、というランク付けがつねに潜んでいるからだ。「正統主義」というやっかいな代物である。

 本物であることは、元来、単にオリジナルであることでしかなく、決して、非オリジナルなもの、つまり偽物やフェイクよりも優れていることを、一義的には意味しない。

 偽物よりも劣る本物というものも、論理的にはありうるわけだ。

 それに対して、本物主義というのは、本来的な実質の優劣を問うことをせず、ただ、本物であることそれ自体を、神話的に言いつのる。そんな言説のことである。

 本物であることが、いつしか本物主義を誘発し、とどのつまりは正統主義に堕ちてしまう。

 仮に、そんなことになったなら、巡りめぐって、本物のもつ本来の真理性は台無しにされる。その結果、あとに残るのは、本物であることだけにあぐらをかいた「本物のにせもの性」、ということになりかねない。

 では、本物が真に本物たりうるのは、どんなときであるのか?

 それは、本物が本物主義から身をふりほどくときである。

 Sinnが本物であるのは、形骸的なオリジナル性からつねに身をふりほどき、技術的真正さという実質を、追求しようといているからに他ならない。

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?「世界のテレビ受像機史上圧倒的に有名なデザイン」。クーバ社製豪華キャビネット「コメート」。テレビ・ラジオ・レコードプレイヤー・テープレコーダー収納。全幅2,16m、高さ1,71m。戦後ドイツの高度経済成長アデナウアー時代を象徴する逸品。生産年度1957~1962年。(50 Jahre Dts. Fernsehen)

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?「クジラに似た奇怪なデザイン」。ベルリン市内を巡回して特許製品を情宣する宣伝カー。普通乗用車にクジラ型のボディーを被せた奇抜な意匠で耳目を惹いた。ライプチヒ収穫祭にも出張した人気者。ドイツ版「黄金の20年代」であるワイマール時代の大衆社会を象徴する伸びやかな意匠と言えよう。(Popular Mechanics 1920-1)

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Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 

 普段からいざというときのために火打石や仕留めた獲物をさばくためにナイフの1、2本を忍ばせておく・・・なんていうロマン溢れる周到さを持ち合わせておらず、さりとて空いた時間にはマックを広げてカフェでメールの返信やらブログの更新してます、キリッ!・・・などというノマド気質もないごく普通の男子であれば、ポケットに入れるのはスマホとカード、ひとつかみの紙幣と満タンにした愛車のキーで必要かつ十分。

 そして腕にはお気に入りの相棒を巻けばいつでもどこでも出かけて行ける。

 その相棒とはいつでもどこでも正確に時を刻んでくれる質実剛健なSinn。ひとめで時刻を視認できるコクピットのメーターライクなデザイン。腕時計の防磁性能を規定したJIS規格を遙かに凌ぐ80,000A/mの「マグネチック・フィールド・プロテクション」による磁気防護力。テギメント加工を施し高硬度を実現した耐傷性能。そしてなにより『Sinn』の備えた計器としての威厳。

 さあ必要なモノは身に付けた。出かけるとしよう。

Sinnはどこから来て、どこへ行くのか?織本知之/日本写真家協会会員。第16回アニマ賞受賞。『モノ・マガジン』で「電子写眞機戀愛」を連載中。

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■Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 連載記事 アーカイブ一覧

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 Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 第5回
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