特撮ファンなら必携の一冊! 「マイティジャック 資料写真集 1968」(後編):特撮ばんざい!第40回


特撮番組『マイティジャック』『戦え!マイティジャック』の資料を徹底的に収集して一冊にまとめた「マイティジャック 資料写真集 1968」のメイキング・ドキュメント後半をお届けする。今回は、資料収集中に起こった、まさに“発掘作業”とも呼べる発見エピソードを中心に、未来の世代へと渡していく資料アーカイブとして、本書がいかに手間をかけて作られてきたのかを紹介しよう。

写真/モノ・マガジン編集部(対談) 文/吉川大郎
©円谷プロ

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特撮ファンなら必携の一冊! 「マイティジャック 資料写真集 1968」:特撮ばんざい!第39回

次々と発掘される貴重な写真資料

「マイティジャック 資料写真集 1968」に収録されている放送当時の写真は、撮影時のスナップからスチールまで、初出のものも多く貴重なものばかりだ。それらは前回語られたように原口氏やM1号の西村祐次さんに拠るところが大きいのだが、さらにATACの保存資料の中からも、初公開となる貴重な写真が見つかっている。それが、特撮研究の重要人物である池田憲章氏のコレクションに含まれていた一連の写真群である。

三好:ATACでは池田憲章さんの残された、段ボール400箱近い資料をお預かりしており現在も整理作業を続けていますが、その整理担当のATAC研究員から、『マイティジャック』が写っているものがいくつか出てきたと報告がありました。早速スキャンして原口(智生)さん、西村(祐次)さんに見ていただいたところ、未公開写真も存在しており、そちらも収録しています。モノクロの、郡司模型製作所さんの写真などですね。池田さんも資料を残してくださっていたんですね。

原口:この一連の郡司模型製作所で撮影されたものは初出ですからね。九尺と六尺の模型があって、六尺の模型では釣り点の付け位置が横であったことがわかります。これは初めて見たので「えっ!」と驚きました。同じ場所で撮影された写真なのですが、これだけMJ号のサイズが違うんですよ。一人で持っていて、ちょっと小さい。

▲「マイティジャック資料写真集1968」より。郡司模型製作所で撮影されたMJ号のプロップ

三好:たまたま池田憲章さんの写真の整理をやっている時期と『マイティジャック』の本を作るタイミングが重なったから出てきたもので、池田さんが「これもあるぜ」と言ってくださったような気がしました。

原口:それに、地道に整理を続けているATACの方々の力もありますよね。

知られざる商品写真

アーカイブという性質の本が作られ始めたことで、各方面のエネルギーが一気に発生して物事が動いていく。本書はそうした力の結集によりできあがったものとなるが、収録された各隊員の写真にもまた、当時の商品につながるエピソードが存在する。

五十嵐:原口さんが提供された写真の中で、江村奈美隊員(演:江村奈美)が国際放映の敷地に立っている写真がありますが、これはよく見ればニットーモケイ(のちの日東科学教材)のパッケージに使われた写真なんですよ。

▲「マイティジャック資料写真集1968」より。江村隊員の特写スチール。プラモデルパッケージ側面に顔の部分のみ使用された。

原口:私はニットーモケイの『戦え!マイティジャック』の隊員のプラモデルについては、その存在を知らなかったんです。もちろん今井科学のプラモデルは買っていましたけれど。怪獣倶楽部の先輩である金田益実さんがそれを持っているという話になって、初めて知りました。当時『サンダーバード』と『キャプテンスカーレット』の隊員プラモデルはあったのですが『マイティジャック』もあったんですね、と。実際に組み立てて塗装もされた現物を見せてもらったことがあります。

三好:その商品写真も収録しています。

五十嵐:プラモデルについてはすごくお詳しい明石小五郎さんにデータをいただいてお話も伺ったのですが、ニットーモケイの隊員プラモデルが出たのは12月なのだそうです。ですからもう番組は終わり間際なので、ほぼ出回らなかったのではないでしょうか。

天本英世氏の衣装も発見

本邦初公開の写真秘話はまだまだ続く。映像に登場していない天本英世氏の衣装や、幻のレイブンの姿もあった。

三好:天本さんが着るはずだった衣装も本邦初公開です。原口さんがその存在については言及されていました。

原口:スタッフのある方が亡くなった時に、遺品を整理していたら出てきたんです。「天本」と書いてあるものを見つけたときに、家に帰って映像を全部確認しましたからね(笑)。確かに劇中では一回も着ていないんです。だから残っていたんでしょう。天本さんのこの衣装の残り方は、ほかの俳優さんのようにポーズ写真は撮影されていなかったんじゃないでしょうか。

▲「マイティジャック資料写真集1968」より。村上隊員こと天本英世さんが着用するはずだった戦闘服。

三好:初公開といえば、原口さんが復元して仕上げられたレイブンもあります。

原口:これは円谷プロの倉庫に、黒く塗られた状態で残っていたものなんです。レイブンだと思って見ていたのですが、よくよく見ると劇中のレイブンと形状が違うんですよ。実は高山良策さんがアトリエ・メイのお庭でレイブンの黒い木型から石膏型を取っている写真があるんです。だからレイブンに間違いはない。日記にも書いているらしいのですが、『マイティジャック』で唯一高山さんが作ったものが、この写真と同じく黒い状態で残っていたんです。昔、安井(ひさし)さんと金田さんが作った「成田亨画集 メカニック編」には、本書に収録したものと同じ画稿が載っていて、「レイブンNG」と書いてあるんです。だから劇中のレイブンは作っている最中にデザインが変わった可能性がある。

三好:欠損パーツは原口さんのほうで作られて、ペイントもして、なおかつ成田さんの入れているパネルラインも入れたんですよね。だからこの写真は、あり得たかも知れないレイブンの姿というわけです。

マイティジャックを見つめ続けた高性能カメラが出現

本邦初公開の収録物としてはさらに、特撮の現場を支えたミッチェル社のハイスピードカメラ「モニター600」の姿も挙げられる。これは、MJ号浮上や飛行シーンを撮影するために円谷英二氏が導入した16mmカメラであり、本来はタイヤのパンク解析に使われるものだ。このモニター600は、同型の別物ではなく、正真正銘『マイティジャック』の撮影に使われたものであり、紆余曲折を経て入手された。現在は須賀川特撮アーカイブセンターに保存されている。

三好:モニター600については、特撮監督の佐川和夫さんに実際見ていただきました。そうしたら「これこれ!」と(笑)。紆余曲折あってカラーが入手して、それをATACが預かって須賀川に保管しています。白い弁当箱みたいなカメラだったという話がありましたが、まさにそうでした。特撮研究所の 鈴木啓造カメラマンにも見ていただいたのですが、やっぱり年季が入ってしまっているので、現役時代のように撮れるかどうかは怪しいらしいです。

原口:やっぱり、この本を作ることによっていろいろなものが集結してきたんですよね。

▲「マイティジャック資料写真集1968」より。奇跡的に発見されたモニター600。

未来に残す書籍として

こうして、さまざまな資料が集結して作られた本書であるが、それだけの貴重な資料を収録するだけあって“本”としてのクオリティにも最新の注意が払われた。当時の写真をどのように再現していくか? そこにも膨大な労力がかけられていたのである。

三好:写真のクオリティについては、枚数が膨大でページ数も『仮面ライダー 資料写真集 1971-1973』の320ページより多い370ページなので、とにかく誌面を組んで、いったん印刷所に入稿をして、刷り色を調整していないものを一回刷ってもらって、その刷り出しに円谷プロさんと我々で赤字を入れていきました。色味については円谷プロさんが精緻に指定を入れてくださって、こちらもこちらで赤字を入れまくり、大日本印刷さんが必死で対応してくださったんです。当時の写真はカビが生えていたり変色していたりといろいろあったので、正解ではないかもしれませんが時間の許す限り直しています。

原口:とはいえ、ライティングされているスチールというのはやはり夕景のシーンやナイターなどで発色は変わりますから、そこは写真としてどうなのか? は優先したところです。

三好:そうですね。疑似海底のシーンなどは、本当にわかりませんでした(笑)。それは手探りでやってきた部分です。

原口:同じ色の潜水艦であってもライティングで発色が全然違いますから。それをオリジナルの(プロップの)色に合わせるのは写真として違ってくる。現物の色があったうえで、とくにスナップではなくスチールの場合はライティングされているものですから、写真としてどうなのかを吟味しています。

三好:ですので、まだ若干黄色いかな、色が飛んでいるかな、というものはもちろんあるとは思いますが、そこは正解を突き詰めていくとキリがないわけですから、ひとつの答えとして出しています。

▲「マイティジャック資料写真集1968」より。写真の補正はスタッフ総出で行われた。

本書は判型も横長と特徴的である。縦長の本と違い、手間もコストも時間もかかる判型が採用された理由は?

三好:横長の判型はほんとうに大変でした。通常の本よりも印刷・製本に時間がかかると言われたのですが、今回は横長の写真が多く、ノド(左右ページの継ぎ目)をまたぎたくなかったんです。これは五十嵐さんと相談をしまして、横にしようということになりました。

五十嵐:見栄えを優先するのであれば横長にするしかないだろうという結論です。庵野さんからも、そうしようというお話がありました。

三好:MJ号はこういうデザインですから、やはり横長にして効果がありました。これを縦の判型で見開き構成にしたら全部切れてしまいますから。でも自ずとページ数が増えてしまいました(笑)。ただ、価格は8000円(税込み8800円)となっていて、赤字覚悟です。なお8000円という価格は、当 八郎にあやかっています(笑)。そして、完売しないと赤字が出ます。本というものは、完売しないと赤が出るような設計にしてはいけないのですが。値段を上げようと思ったら上げられたし、安い作りにしようと思ったらそれもできたかもしれません。でも、ある程度のお値段で、いろいろな人に見てもらいたいんです。もっとも8000円でも高いと思われる方はいるでしょうが。

原口:クオリティを落とさなかった分資料価値が高い。「資料写真集」という題名が付いているだけあって、この本を眺めるだけで何日も時間が過ごせます。本当に、二度と手に入らない。しかも資料が一冊にまとまっていますからね。

ワンフェスでもあっという間に売り切れに

最後に、原口氏、三好氏、五十嵐氏に完成後の感想を聞いて、本稿を締めたい。7年前の写真資料から始まり、庵野秀明からの号令で始まった本書。これまで見てきたように、できあがるまで数々のドラマがあった。

原口:感無量です。仮にデータが消えようが、書籍としてこの後に残っていくものですから。『マイティジャック』は視聴率がおぼつかなかったなどいろいろとあったのでしょうが、やはり作品に込められている魅力は、ページをめくっていけばわかります。どの写真もじっくり見ることができますよ。

三好:原口さんのお言葉に尽きると思いますけれど、タルカスさんも五十嵐さんのみならずみなさん総動員で、『マイティジャック』のためなら、ということで制作にあたってくださいました。これまで申し上げてきたいろいろな方の力が結集されて作られた本なのですが、よく考えてみれば『マイティジャック』そのものが、チームの物語ですよね。それに近い団結がありました。

原口:ほんとうに、庵野さんの愛情が詰まった本ですよね。

五十嵐:それに尽きると思います。私も作りながら再認識しましたが、日本の大人向け特撮ドラマで、メカニックがしっかりと描かれているのは『マイティジャック』、と『日本沈没』くらいしかないのではないでしょうか。1時間の尺で、大人の世界の中でメカニズムが活躍するドラマの貴重さを思い知りました。そういったものが私が生まれた年に作られたのも何かの縁かもしれません。この本を作る機会を与えてくださった庵野さんには感謝しかありません。

三好:庵野も、できあがった本を手渡したらにんまりして、「ご苦労様でした」と。おかげさまでワンフェス(2024年2月11日開催 ワンダーフェスティバル2024[冬])では大日本印刷さんに頑張って先行印刷をしていただいたものを20冊並べたのですが、1時間で売り切れました。ツブラヤオンラインストアさんとワンフェスのATAC先行ブース分だけ確保していたのですが、どちらも完売です。当時を知らない方でも、こういう悪戦苦闘した作品があったんだと追体験のつもりで購入いただいてもいいと思います。

▲原口さんが修復したMJ号。三尺サイズの姿見である。
▲左から「マイティジャック資料写真集1968」のスタッフである。原口さん、三好さん、五十嵐さん。ちなみに五十嵐さんが生まれたのは「戦え!マイティジャック」第14話の放送日とのことだ。

Profile

三好寛(KAN MIYOSHI)
「マイティジャック 資料写真集 1968」編集担当。カラーの学芸員および認定NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)の事務局長として、アニメや特撮のアーカイブ活動や「庵野秀明展」「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」などに携わる。

五十嵐浩司(KOJI IGARASHI)
「マイティジャック 資料写真集 1968」構成、執筆を井上雄史氏、岡本智年氏とともに担当。「仮面ライダー資料写真集1971-1973」でも、三好氏と作業を行った。株式会社タルカス代表。

原口智生(TOMOO HARAGUCHI)
「マイティジャック 資料写真集 1968」に多くの資料を提供し、本書制作のきっかけを作った。本書収録の九尺のMJ号をはじめ複数のプロップ修復を手がける。特殊メイクアーティスト・造形師、監督・特技監督。

マイティジャック資料写真集1968
発売/カラー
販売/グラウンドワークス
価格/8800円

【前編はこちら】

特撮ファンなら必携の一冊! 「マイティジャック 資料写真集 1968」:特撮ばんざい!第39回

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