2023年に出版された「仮面ライダー資料写真集1971-1973」に続き、特撮番組『マイティジャック』『戦え!マイティジャック』の資料を徹底的に収集して一冊にまとめた「マイティジャック 資料写真集 1968」が出版された。今回は、そのメイキング・ドキュメントをお届けする。
写真/モノ・マガジン編集部(対談) 文/吉川大郎
©円谷プロ
特撮ファンなら必携の一冊! 「マイティジャック 資料写真集 1968」:特撮ばんざい!第40回
1968年、土曜夜8時から1時間枠で放送という前代未聞の円谷プロ特撮番組『マイティジャック』がスタートした。番組はその後30分番組『戦え!マイティジャック』に模様替えし、時間帯も夜7時に変更され同年12月に最終回を迎える。しかし、その独自の魅力は当時の少年達に深いくさびを打ち込んだ。
この度出版された書籍「マイティジャック 資料写真集 1968」は、現存するほぼすべての写真、プロップ、関連商品資料を未来に残すべく収集し収録した一大資料集である。
責任編集を務めたのは、当時放送を見ていた少年達の一人であった庵野秀明氏。編集は2023年に刊行された「仮面ライダー資料写真集1971-1973」と同様、アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)の三好寛氏が、構成・執筆は株式会社タルカスの五十嵐浩司氏らが担当。万全の布陣で臨んだ。
今回は、三好氏、五十嵐氏と、『マイティジャック』の資料収集からファクトチェックまで多大なる協力をした特撮プロップ修復師 原口智生氏を交え、本書の企画開始から資料収集の経緯をお伺いする。
まずは本書の企画開始から聞いていこう。「マイティジャック 資料写真集 1968」は原口氏が所蔵している『マイティジャック』の写真資料を庵野秀明氏に渡したことが、起点となったという。
責任編集・庵野秀明氏の一声で書籍化開始
原口:私が庵野さんに『マイティジャック』関連の写真資料をお渡ししたのが7年ほど前だったと思います。その中には、怪獣倶楽部の先輩で元円谷プロの社員だった竹内博さんからいただいたものであったり、本書に多大な協力をされたM1号の西村祐次さんが所有していた写真の複写を分けていただいたものもありました。それらの写真は紙焼きだったので、庵野さんはちゃんとデータにしておかないと、とおっしゃったんです。データ化作業はカラーでやるからということで、全部お預けしました。当時はまだ、本にするという話は聞いていませんでしたね。
三好:庵野はその時点ですでに、本にしたかったんだと思います。その後、2021年頃でしょうか、『マイティジャック』55周年となる2023年に、写真を全部載せた本を作ろうという話になりました。コンセプトは3つです。ひとつは原口さんや西村さんのお写真のほか、円谷プロに残っている写真をおさえること。次が、須賀川特撮アーカイブセンターや原口さん所蔵のものはじめ、各所で保存されているプロップを撮影して載せること。最後に、もちろん成田亨さんのデザインも収録する。こうした内容で企画が始まりました。
原口:庵野さんとしては、かつて自分が影響された素晴らしい作品の資料を、あるだけ全部調べてまとめておきたいということだったんでしょうね。『仮面ライダー』(「仮面ライダー 資料写真集 1971-1973」)もそうでした。今の時代、「データにしておけばいいでしょう」という、それはそれで作業としては大事なことなのですが、装丁された本の形にしておくことで、資料が永久に残っていく可能性が高くなりますから。
『マイティジャック』は“しびれちゃう!”
では、そもそも『マイティジャック』はなぜそこまで庵野氏、原口氏を惹きつけるのか? 放送当時少年だった彼らにとって、『マイティジャック』とは何だっただろう?
原口:私は庵野さんと同い年なのですが、本放送で全部見ていますし、撮影現場も見ていました。当時の男の子にとって『ウルトラマン』と『サンダーバード』は絶大な人気でしたが、両者ともメカの魅力があって、そういう状況の中で『マイティジャック』の放送前は、どのような作品なのかなと期待していましたね。驚いたのは夜8時という大人の放送時間帯で、ドラマ部分も長いんです。
五十嵐:基本的には大人の世界のドラマで、子供に理解させようという話ではありませんでしたね。
原口:だから、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『サンダーバード』を見ている時のような「面白い作品だな」という印象は、実はないんです。ただ、でもやっぱりMJ号自体がカッコいい。だから、庵野さんも言っていましたけれども、目をこすりながらでも最後まで見ていた。『マイティジャック』って、簡単に言うと、単純にカッコいいんです。庵野さん風に言えば「しびれちゃう」。そういう番組でした。
そのメカの魅力が復活したのが、遡ること2012年5月、展覧会「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」の記者発表会でお披露目され、本書にもその写真が収録されている原口氏による九尺=2m70cmのMJ(マイティ)号修復モデルである。博物館の目玉となった同モデルは、発表会当日朝まで原口氏による作業が続いていたのだという。
原口:東京都現代美術館で庵野さんが展覧会をやるにあたって、モニュメントとなるのはやっぱりMJ号じゃないかなと思いました。私がバラバラになっているMJ号のパーツを持っていて、西村さんがお持ちのものもいくつかあるなど、あちこちに散逸していたのですが、それを集めることができました。こうして復元したMJ号は、展示用映像『巨神兵東京に現わる』とともに展示会のモニュメントとなったと思います。ただ、世間一般の人はどう思うのかな、とは思っていました(笑)。『マイティジャック』って、番組が30分番組に変更されたりいろいろありますから。ただ、庵野さんや私たちにとってはとてつもなく魅力的なものなんですよ。ただただ特撮とMJ号がかっこよくて、それだけで十分なんです。庵野さんもご自分に影響を与えた『マイティジャック』に対して、リスペクトと感謝の念がすごく強いのではないでしょうか。
続々と集まる貴重な立体資料
実際に本書をめくれば、MJ号関連だけで100枚を超える収録数で、中には少しアングルが違うだけの写真も見られる。収集された写真は状態が悪すぎるもの以外はすべて収録されているという徹底ぶりだ。さらに本書には円谷英二監督の絵コンテのほか、成田亨氏によるデザイン画、映像パッケージのための絵画、さらに図面までも収められている。
三好:成田さん関連の資料も、ご遺族のお力をお借りして、ご自宅に保管されていたものを含め、残存しているものをありったけ収録しています。真筆のものも残っていたんですよ。
骨子となる3つのコンセプト=収集した写真、プロップ、成田亨氏の資料に加え、本書には制作過程でさらに収録物が付け加えられていった。その中でもドラマチックな展開で収録に至ったのが、「月刊ホビージャパン」に連載されていた小説とその作例である。
三好:本を作り始めたタイミングで、庵野からは「月刊ホビージャパン」に連載されていた小説も載せたいという話がありました。本書には当時の小説と模型写真、挿絵はもちろん、この連載で使われた作例も新たに撮影して収録していますが、模型を見つけたのも原口さんでした。
原口:実は、私はホビージャパンの連載を7年前まで知らなかったんです。なぜ7年前だと断言できるかといえば、同じ中学で1学年上だったモデラー、千草巽さんの存在があったからです。お互い仕事をはじめてからは一時期疎遠だったのですが、千草さんが病気で倒れてしまい、そこからは看病に行く間柄になりました。千草さんは結果的に亡くなってしまったのですが、それが7年前のことでした。そして、千草さんが亡くなった際にご家族に相談されたのが、これまで作られた模型の整理です。そこには彼が作ったMJ号やピブリダーがあった。しかしその形は初めて見るものだったんです。自分で創作したのかな? と思って庵野さんに「こんなものが彼の自宅に残っていたんですよ」と話をしたら、庵野さんがいの一番に「これはホビージャパンの小説カット用の模型だ!」って。庵野さんは知っていたんですね。先日ワンダーフェスティバル(2024年2月11日開催 ワンダーフェスティバル2024[冬])でこの本の発表と先行販売をしたのですが、その日はちょうど千草さんの七回忌でした。彼もまた『マイティジャック』に魅了されたひとりで、成田亨さんを信奉していた人間なんですね。
五十嵐:一連の写真や成田亨先生の絵画は別の形で残っていく可能性はありますが、小説に関してはこれが最初で最後のチャンスだったのではないかと思います。
千草氏の遺されたコレクションからは、四尺のピブリダーのプロップや、前部のみのMJ号も発見されたという。本書にはほかにも、各方面から現存している様々な資料が集結した。
三好:大石一雄氏所蔵の、MJ号一尺サイズのプロップもそのひとつです。五十嵐さんが紹介してくださってお借りしました。大石さんも原口さんと同じく当時の栄スタジオ(祖師谷)に通われて、有川(貞昌)特技監督にも懇意にしていただいた方なんです。
原口:自分も、ピブリダーの小さいものは有川監督から直にいただいたものなんですよ。父が有川監督とは旧友だったので、小さい頃からかわいがってもらっていました。そういう形で、私や大石さんがいただいたものが残っていたわけです。
探索の手は、当時の雑誌からソノシートまで広がった
こうして、ホビージャパンの小説も収録資料に加わったわけだが、さらに資料収集は広がりを見せ、放送当時の雑誌記事やレコード関連、プラモデルの写真までもが対象となった。
三好:過去の雑誌をはじめとした資料は、M1号の西村祐次さんが本領を発揮して提供してくださいました。庵野からは後年発表されていた開田裕治さんの内部図解も載せよう、という指示が飛び、さらに編集の土壇場でレコードの音源資料も入れるということで、レコードをかき集めたのですが、こちらも西村さんと、西村さん経由で浅井和康さんのお力も借りました。
五十嵐:ほかにも早川優さんのお導きで、円谷ミュージックさんで音楽テープの撮影もできまして、そちらも収録しています。
原口:私はソノシートやレコードまで収録するとは聞いていなかったので驚きました。『マイティジャック』は、もちろん成田さんのデザインの素晴らしさや円谷プロの当時の特撮技術、プラモデルの話も出てきますが、庵野さんも必ず言うけれども、返す返すも冨田勲さんの音楽が素晴らしいんです。デザインや特撮だけではなくて、商品や音楽など、魅力的な要素がいっぱい内包されているということなんでしょうね、『マイティジャック』って。
写真、プロップ、成田亨氏の資料という三本柱から始まり、模型誌連載と作例、当時の雑誌記事やレコードなど『マイティジャック』関連の収集を進めてきた本書の制作陣。その資料収集には、まだまだ発見とドラマがあった。後編では、特撮研究の重要人物である池田憲章氏に関連するエピソードをはじめ、商品関連の資料について、さらに深掘りするとともに、書籍としてのクオリティについてもレポートする。
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Profile
三好寛(KAN MIYOSHI)
「マイティジャック 資料写真集 1968」編集担当。認定NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)の事務局長として、アニメや特撮のアーカイブ活動や「庵野秀明展」「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」などに携わる。
五十嵐浩司(KOJI IGARASHI)
「マイティジャック 資料写真集 1968」構成、執筆を井上雄史氏、岡本智年氏とともに担当。「仮面ライダー資料写真集1971-1973」でも、三好氏と作業を行った。株式会社タルカス代表。
原口智生(TOMOO HARAGUCHI)
「マイティジャック 資料写真集 1968」に多くの資料を提供し、本書制作のきっかけを作った。本書収録の九尺のMJ号をはじめ複数のプロップ修復を手がける。特殊メイクアーティスト・造形師、監督・特技監督。
特撮ファンなら必携の一冊! 「マイティジャック 資料写真集 1968」:特撮ばんざい!第40回