Decipher the watch #26

1990年に発刊した『ウオッチ・アド 広告に見るアメリカ時計産業の興亡の軌跡』という本より、毎回転載する企画。今回はハミルトンの1928年の広告で、名デザインとして時計史に残る「パイピング・ロック」を扱っています。
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高速列車に胸ときめかせた時代があった

1928
“The Beating Heart of Time•••”
時の高鳴る鼓動
2本の暗い鋼鉄のリボンをくだり、かすかに光る信号が威嚇する世界のまっただ中で、鉄道の大いなる急行列車に乗る。厳しい表情の運転手は2つの安全をつかさどる神様に頭を下げる。 ひとつはエメラルド・グリーンに輝く信号、もうひとつはハミルトン・ウオッチだ。鉄道の精度をもつ時計。なぜこれほど威嚇するように感じるのか。
ダッドリー・ニコラス、ニューヨーク・ワールドの特派員は知っている。彼は力と興奮に満ち満ちた高速列車に乗り、その体験を記している。
めずらしい写真をふんだんに使ったこの興奮に満ちた本をお送りします。また、私どもの小冊子「タイムキーパー」をさしあげます。上は超モダンな「パイピング・ロック」 ストラップ・ ウオッチ、ホワイトあるいはイエロー14kゴールドで、$125。また「ロバート・モリス」 ポケット・ウオッチ、ホワイト・ゴールド・フィルドあるいはグリーン・ゴールド・フィルドで $55。他のハミルトン・モデルは$48~$685です。各宝石店でご覧ください。
ハミルトン 鉄道精度の時計
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事故が決めた鉄道精度
1891年4月19日、オハイオ州キブトンでミシガン・サザン鉄道の上下線が正面衝突、11人の死者を出すという大事故が発生した。この原因はこともあろうに4分も遅れていた、ひとりの鉄道員の時計にあった。この頃は鉄道網が発達したといっても、その大半が単線であり、1日に多くの列車の上りと下りが両方向に運航していた。衝突を避ける方法といえば、退避線があって列車は一時的に本線からはずれて正面からくる列車をよけたり、 後ろから来る速度の速い列車を追い越させたりしていた。これだからこそ、双方の鉄道員がもつ時計に狂いがあれば当然の結果として事故は起きる。 鉄道員用の時計の基準はまだ曖昧だったから、大事故が発生しても不思議はない。こうして起こるべくして起きたのが、このミシガン・サザン鉄道の事故だった。夢あふれる鉄道もこれでは台無しだ。
事故の功名が「ポール・オフィシャル・スタンダード」の鉄道時計だ。クリーブランドの時計商であったウェッブ・C.ボールがその任を受け、鉄道時計の基準と検査システムを定めた。この基準に従って時計メーカーは鉄道員のための時計を作ったのだが、なかでも人気ブランドがハミルトンだった。第1号を生産した1893年から1969年まで、51種類270万個近くの時計がアメリカの鉄道員たちの手に渡った。
さて、鉄道員の時計だけでなく庶民の間に時計を普及させたのも鉄道だ。教会の鐘を頼りにしていたのでは、厳密に発車時刻が決められた列車には乗れない。「人に1つは正確な時計が必要、しかも携帯できる時計がなくてはならない。この頃、多くの時計メーカーが設立されたのも偶然ではなかった。
腕時計がようやく広まり始めた第1次世界大戦後の1920年代、ハミルトンは頑なにポケット・ウォッチを作り続けていたが、この広告が掲載された 1928年、ハミルトンの象徴的モデル「パイピング・ ロック」を発売した。競争相手のアメリカやスイスの時計メーカーが当時の流行の最先端、アールデコ風のファッショナブルな時計を売り出していたから、ハミルトンとてうかうかしてはいられなかった。そこで出したパイピング・ロックは腕時計史に残る名デザインの誉高いモデルである。
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