【腕時計を読む!#25】1905-1962 腕時計の広告を読む 第2回:ハミルトン(1)

1990年に発刊した『ウオッチ・アド 広告に見るアメリカ時計産業の興亡の軌跡』という本より、毎回転載する企画。今回はハミルトンという時計メーカーの創業からスウォッチ グループ(旧SSIH)の傘下に入までの動向と、初期のレールロード・ウオッチの広告の訳文とその解説を。

■ ■ ■

時計に市場を奪われ、やがてスイス企業に吸収されてしまうというアメリカ時計産業の盛衰を如実に表してもいる。どれほどその製品が優れていても、抗することができない外的要因が重なり、生き残るためには妥協を余儀なくされる運命にあった。

1892年、ハミルトンはペンシルヴァニア州ランカスターでビジネスマンの小さなグループによって創設された。ハミルトン創設以前には1874年から1886年までに6つの会社が設立と失敗を繰り返している。1874年にアダムス&ペリーがムーブメント製造会社として創設され、6番目の1886年にキーストン・スタンダード・ウオッチ・カンパニーを創設するまで、いずれも優秀な時計師ではあったが、経営の才覚はなく、会社を引き継いだものの失敗に終わっていた。そしてランカスターのいわばアントレプレナーが集まり、キーストン・スタンダード・ウオッチ・カンパニーの資産を買収し、時計会社オーロラ・ウォッチ・カンパニーと合併させ、ハミルトン・ウオッチ・カンパニーとしてスタートしたことで幕を開ける。ハミルトンというのはランカスターの街の創始者の名前をとったものだった。

初期のハミルトンの成功の要因は、その経営の確かさと、また鉄道時計作りで高精度の信頼性の高い、しかも互換性のあるムーブメントを作ったことにあった。1893年に始まる鉄道時計製造で定評を得たハミルトンは、さらに第2次世界大戦時の海軍用のマリン・クロノメーターを開発し、その大量生産と精度が評価されている。戦争中はマリン・クロノメーターをはじめ、ナビゲーション・ウオッチ、腕時計、クロノメーター・ウオッチ、精密機器用ヒューズなどの生産で軍需景気の恩恵に大いに預かった。

第2次世界大戦後は、1957年には世界初の電気腕時計「ハミルトン・エレクトリック」を、また1970年には世界初のエレクトロニクス・デジタル・ウオッチ「パルサー」を開発し、時計史に新たなページを開いたのだった。しかし、科学的進歩で時計革命を試みたハミルトンだったが、腕時計製造からは次第に遠のいていった。これも戦時の軍用品主体の生産体制の影響とそれに続く朝鮮戦争、ベトナム戦争のための時計以外の軍用品の需要の増大のためで、会社の経営は時計以外の製造で潤い、その利潤を生かして1966年にスイスのピューレン・ウオッチ・カンパニーを買収している。これをきっかけにムーブメントの製造は次第にスイスへと移行し、やがてアメリカでの製造を中止することになる。時計メーカーであるはずが時計を自国で作ることをやめてしまったがために、1971年頃からスイスの時計会社がハミルトン獲得へと動きだし、1974年、ハミルトンの時計部門はスイスの時計メーカー・グループSSIHに買収され、アメリカの時計メーカーとしての幕を閉じたのだった。

19世紀末に創設されてから80年余のハミルトンの歴史は、ポケット・ウオッチから腕時計への移行、さらに電池を動力とする全く新しい技術の開発を経験した時計開発の足どりであり、また国家の動きに左右されながら発展し、衰退した時計産業の縮図でもある。高級時計メーカ一として創業から終焉までに展開された広告の陰には、その背景となる社会やお家の事情が隠されている。

■ ■ ■

鉄道用の時計であることが誇りだった

Hamilton Watch, The Watch of Railroad Accuracy
ハミルトン・ウオッチ鉄道精度の時計

誠実な時の精密なるテスト
ここに写るファースト・リミテッド・パッセンジャー・トレインズのエンジニア、車掌、乗務員たち、そしてさらに多くの鉄道員たちは、その正確さと耐久性ゆえにハミルトンの時計を携帯しています。公式計時検査(オフィシャル・タイム・インスペクション)が行なわれているアメリカの鉄道では、そこに働く半数以上(56%)がハミルトンの時計を持っています。 ハミルトンの一般用時計には男性用、女性用の美しいもの、薄いモデルもあり、各地の時計店でお求めになれます。ムーブメントのみは$12.25以上。完成品はいくつかのサイズがあり、$38.50〜$150.00。これらについて、また、お手持ちの時計ケースにハミルトンのムーブメントを入れられる場合には時計店にお尋ねください。「タイムキーパー」を手紙でお申し込みください。ここには多くのハミルトンのモデルについてイラスト入りで書かれています。また時計をお買いになろうとお考えでしたら、十分お読みになる価値はあるものです。

ハミルトン・ウォッチ・カンパニー、ランカスター、ペンシルヴァニア

■ ■ ■

鉄道が標準時間を決めた

雄々しき鉄道員が居並ぶのは、ハミルトン草創期の広告だ。時計発達の第一の鍵を握っていたのが鉄道だった。19世紀後半のアメリカはこの男たちに支えられていたのだった。1865年にアメリカ史上最大の61万7000人という死者をだして幕を閉じた、骨肉の争いの南北戦争が終わると、「ギルデッド・エイジ(金びか時代)」といわれる産業資本が急速に膨張した時代が訪れた。

なかでも潤ったのが鉄道会社。連邦政府から西部の鉄道会社は大判振る舞いの1億8000万エーカ一という土地をもらい、1862年には連邦議会が最初の大陸横断鉄道建設の法律を制定したため、鉄道の建設ラッシュ、やがてアメリカ全土が鉄道網で覆われることになる。「大草原の小さな家」のインガルス一家のように、平原の開拓に精出した開拓農民たちも、鉄道のおかげで石炭や木材が手にはいり、開拓が進められたわけで、鉄道は物質と夢を運んでいた。

鉄道ができたのはいいが、そこにひとつの問題が生じた。時間だ。当時、鉄道会社はそれぞれに独自の時間帯で列車を動かすという、信じがたいことをやっていた。標準時間というものが存在しなかったのだ。太陽が真上にきた時刻をその町や村の正午とし、教会の鐘が正午を知らせ、時計をあわせるというのんきな時代、100年前にしてこうだった。これでは時間の共通性は非常に狭い範囲に限られてしまう。ところが各街が鉄道でつながると、時間の違いは大きな問題となるのは当然で、特にアメリカのように東西に広大に広がる国で各州、各都市でまったく勝手な時間を使っていたらそれは混乱以外のなにものでもない。しかし実際に80近くの鉄道の基準時間があったのだ。アメリカ大陸を15度ずつ区切り、グリニッジ標準時間を基本子午線とする共通の標準時間が定められるのは、1883年をまたなければならない。

鉄道が発達し、標準時間が決められると当然のごとく時計が登場する。もちろんここで1時間に何分も狂う時計をもっていたのでは、何の意味もない。特に、安全かつ確実に鉄道を運航させる鉄道員たちが必要とした、正確無比の頼れる時計、これがハミルトンが後にまでスローガンとして使い続ける「鉄道精度の時計」だった。

■ ■ ■

関連記事一覧