道玄坂、有楽町、御茶ノ水、八重洲……誰もが知っている、おなじみの地名。実はその土地に由来する人物名から名づけられていたなんて知ってました? 道玄坂は「大和田太郎道元」、有楽町は「織田有楽斎」、御茶ノ水は「徳川秀忠」、そして八重洲は、これは有名ですよね、「ヤン・ヨーステン」。
由来となった人物を知らなくても、土地の名前や記憶には、その人が存在したという事実や物語は刻まれている。一見、過去の痕跡もなにもない風景の中に、ふと消えていった誰かの記憶が現れれば、人はそれを幽霊と呼んでいたのではないだろうか……。
消えていくという「無常」と、そこにいたという事実は消えることがない「不変」。そんな無常と不変の間をさまよう土地の幽霊たちと妖しい夜の世界を廻っていく思考的ファンタジーが1冊の本になった。それが、このアートブック『やがて、みんな幽霊』なのだ。
著者はコピーライター・クリエイティブディレクターの武藤雄一さん。なんとこのアートブックを世に出すため、出版社をつくってしまった。どこからそんな情熱が沸いて出て来るのか? 『やがて、みんな幽霊』にかける想いやこだわりを聞いてみた。
文/モノ・マガジン編集部 写真/西村智晴・市川タカヒロ
武藤雄一さんが、2024年に設立した「文とアート出版」では、文章とアート・文章とデザインの新たな組み合わせ、本における紙の意味、残らざるを得ないもの。それらを考え、カタチにしていくことを目指している。
このアートブックをつくるきっかけを教えてください。
「無常」って何だろう? ということが自分の中で気になっていたんです。諸行無常という言葉がありますが、仏教からはじまり、平家物語、方丈記、松尾芭蕉など、さまざまな人が考え、解釈をしています。これは日本人の死生観でもあり、難しい概念でもあります。個人的にも非常に好きな言葉なんですが、それを今の時代に翻訳するといいますか、リブランディングするといいますか、もっとみんなが「こういうことなんだ」と実感して、理解してほしいと思ったのがきっかけです。
無常という言葉が気になるとのことですが、それはなぜでしょうか?
人は死というものに恐怖を感じていますよね。終わってしまうのという怖さです。しかし、すべては始まりがあれば、必ず終わりがあります。そこに“せつなさ”を感じるんですよね。常に生まれて、常に消えていくのが「無常」であって、そこに“切なさ”や“虚しさ”を感じるんです。自分がいままでコピーライターとして考えてきた言葉も、作品としては残りますけど、おそらくは忘れられていく……そういった“切ない”部分がありますね。一方で「不変」という言葉があります。AIなどテクノロジーがさらに進化し、データとして残り続けるという「不老不死」や「永遠」が目の前まで来ていると感じていまして……そんな時代に「無常」や「不変」のあり方って何だろうと自分なりに探ったり、見つめ直したのが、この本なんです。
本書は開くと平らになるという、こだわりの糸かがりコデックス装製本。じっくりと写真を見たり、文章を読むことができる。ページの御茶ノ水の幽霊は徳川二代将軍秀忠。
今回、10カ所の地名と由来する人物が10人登場しますが、どのようにして選ばれたのでしょうか?
10カ所の地名を選んだ理由は“僕が気になる場所”ということです。あと“物語”がちゃんとあった場所です。実は100カ所ほど候補があったのですが、その中から“物語”がある場所を10カ所選びました。歴史的にも「あの場所にはこんな由来があったんだ」という発見もあって、たくさんの人に面白がっていただきました。どんな人物だったのか、調べたのですが、女性が難しかったです。男性は史実がけっこう残っているのですが、女性はあまりないのです。「〇〇の妻」ですとか、名前の記述がない。本書の「つる女」と「秋紅(あきべに)」はけっこう資料を探しましたね。
「無常」と「不変」の間にいるのが「幽霊」だという考え方が面白いと思いました。
幽霊って怖い存在だと見られがちですよね。でも、生きた証でもあります。そこに誰かが生きていないと幽霊にならないから。その場所にずっと幽霊が出ていたとすると、ひとつの「不変」でもあるし、さらに言えば「無常」の象徴でもあるし。たとえば御茶ノ水に「徳川秀忠」がいた証として、幽霊はいますよね。実態は死んでこの世にはいないけど、秀忠がいたという事実は消えないから。そういう考え方なんです。
本書の構想は10年以上前からありました。動き出したのは、2年ぐらい前からです。撮影は一晩で2カ所撮影して5、6日で終えました。衣装にもこだわり、大河ドラマの時代考証を担当している先生にお願いしました。その時代に本当に生きていた人の衣装をリアルに追及しています。年齢や職業で着物の模様が違うんですよ。未婚の女性と子どもを産んでいる女性の髪形の違いとか、徹底的にこだわりました。
「溜池」の「つる女」のモデルは武藤さんのアシスタント・石黒早恵実さん。「歩き方も時代考証の先生に事前にレクチャーを受けました。当時は道がぬかるんでいたので、みな厚底の草履を履いていたそうなんです。重心を傾けて歩くようにとアドバイスを受けました」
幽霊を演じるモデルはどうやって探したのですか?
モデルはみんな素人です。「道玄」は印刷会社の人(笑)。でもそれがかえってリアル感が出ました。演技できない分、生っぽい感じが出ました。撮影中はジロジロみられるんですけど、あまり驚かれませんでしたね。撮影時は冬だったので無茶苦茶寒かったです。「合羽橋」に登場する河童はほぼ裸だったから、モデルさんは大変だったと思います。泣くほど寒かったのにちゃんとやってくれました。偉かったなぁ(笑)。合羽屋喜八は、河童たちと一緒に治水工事をしたっていう伝説があったので、じゃあ、河童も出さなきゃって(笑)。
鎌倉時代の武将の残党、道玄(どうげん)。坂の上にあった松の木に麻縄をひっかけて登り、目星をつけて手下に合図、道行く旅人を襲っていた。年老いてから、前非を悔やみ、仏門に入って名を「道玄」に改めた。
合羽屋喜八は、現在の曹源寺のあたりに雨合羽の店を営んでいた。店は繁盛し、私財を投じて新堀川の治水工事を行って、洪水から町を守ったそうだ。その際、河童たちも手伝って、難工事をやり遂げたという言い伝えがある。
今回、ボツになった地名はありますか?
「用賀」ですね。僕たちが調べたところ、用賀は日本の「ヨガ」の発祥の地という有力な説があるんです。本当ですよ(笑)。面白かったのですが、今回は日本のみでいきたかったので泣く泣くボツになりました。あと「暗闇坂」はなにかあると思ったのですが……意外となにもなかった(笑)。
本書は暗闇のページから始まり、また暗闇のページで終わる。人は粒子に始まり、粒子となって消えていく。
小さなドットが七色に光る表紙。よく見ると、タイトル文字も微細なドットが集まってできている。
実際に手に取るとわかるのですが、かなり装丁もこだわっていますね、これは糸かがりコデックス装製本?
ちゃんと見開きごとに全面で開きたかったんです。『やがて、みんな幽霊』という書名はオーロラ箔といって、いろんな色に見えるんです。大変でした(笑)。最初のページは宇宙というか、粒子を表現しています。粒子は変わらないので不変の象徴なんです。アートブックといえば大きなサイズが多いですが、あえてコンパクトにしました。この正方形の判型は松尾芭蕉の「奥の細道」を出版したときの「桝形」と同じサイズなんです。そういったいろんな文脈から本書はできています。最初は既存の出版社から出そうとしたのですが、「お金がかかるし、売れない」と断られたので、じゃあ、自分でつくちゃおうと。
本のタイトルがいいですね、頭に残ります。
この本の最大のポイントは『やがて、みんな幽霊』というタイトルです。やがて、みんな死ぬのではなくて、幽霊になっていくという、死に対するひとつのアンチテーゼなんです。みんな幽霊になるという点では平等であると。偉い人も、怖い人も、いい人もみんな幽霊になっていくという。死ぬということと、消滅するということは、また違った概念があるかもしれないね……という問いかけです。
今後のご予定はありますか?
これからも定期的に出していく予定です。『やがて、みんな幽霊』の大阪バージョン、京都バージョンとかね。とくに京都はヤバいです。僕はもともとコピーライターなんですが、本書の読者に「文章が短い、もっと読みごたえがほしい」とよく言われました。自分としてはコピーを書いているんです。それぞれの幽霊の短編映画のコピーを10本書いているつもりです。だからとても読みやすいと思います。ある人にとっては写真集だし、ある人にとっては小説だし、ある人にとっては歴史書だし。いろんなとらえ方ができる楽しみがあります。コピーが好きな人、歴史モノが好きな人に特にオススメです!
武藤雄一さん:クリエイティブディレクター/コピーライター
企業経営におけるクリエイティブのあり方を追求。社会的な視点から、広告の枠を超えたプロジェクトを手がけている。明治「THE chocolate」などのネーミングをはじめ、エスビー食品、ホテルオークラ、国立がん研究センター、サントリー、PR TIMES Wedding Parkなどのブランディング。東京コピーライターズクラブ新人賞・審査委員長賞。広告電通賞、ACC賞、ニューヨークADC金・銀・メリット賞などを受賞。