Decipher the watch #27

1990年に発刊した『ウオッチ・アド 広告に見るアメリカ時計産業の興亡の軌跡』という本より、毎回転載する企画。今回はハミルトンの1936年の広告で、飛行機の時代の始まりと時計の関わりについてを解説しています。
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空の交通に、そして冒険に、時計の責任は重い

1936
Racing Time on the highways of the sky!
空中ハイウェイのレーシング・タイム
荒れ狂う風に打ちのめされ、雪舞う空の白いうず巻に視界を奪われながら、エア・メイル・マンたちは飛び続ける。彼らを待つ空港があり、そしてそこに定刻に到着しなければならない。 ハミルトン、すなわち「鉄道精度の時計」がアメリカの郵便飛行機を操る男のポケットのなかで、あるいは手首にまかれて、行く手を見いだす。
ハミルトンは1926年、バードとともに北極へと向かい、そして60個のハミルトンがいま、彼の北極探険の時を刻んでいる。また、ハミルトンはヘゲンバーガー、メイトランド両中尉が成し遂げたサンフランシスコ、ホノルル間の歴史的飛行の時間計測も行なった。
ハミルトンのすべてのモデルについて記した「タイムキーパー」をさしあげます。ハミルトン・ウオッチ・カンパニー、882コロンビア・アベニュー、ランカスター、ペンシルヴァニア、USA
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時空の制覇めざした男たち
ロッキー山脈を越えるボーイング40Aを掲げた広告は、いかにも汽車から飛行機への転換期らしい。転換といってもようやく空の交通に一歩、足を踏み入れたというところだが、ハミルトンはいち早くそれに乗じようとした。
アメリカの商業航空の先駆けがエア・メイル・サービスだった。旅客サービスが始まったのは1920年代後半で、それでも当初はエア・メイルの付属として人間が乗るという程度。この広告のボーイング・エア・トランスポート社のボーイング40Aも小さなキャビンに2人の乗客と1200ポンドの郵便を乗せて、サンフランシスコとシカゴのあいだを飛んでいたのだった。男の誇れる仕事が鉄道員であった時代から、エア・メイル・パイロットへとかわり、世はスピードの時代に突入した。
第1次世界大戦の後、世界経済の王座の地位についたアメリカの1920年代は繁栄と享楽の時代、自動車が普及し、全国にハイウェイ絹が建設された。また消費文化が花咲き、家庭には電気冷蔵庫や電気掃除機が登場し、現代アメリカの青写真がすでにできあがっていた。フラッパーな女たちがチャールストンに明け暮れ、禁酒法の下でギャングが暗躍する時代でもある。
空の制覇をめざした男たちが登場したのはこんな時代だ。その最も代表選手といえばリンドバーグだが、アメリカのもうひとりの英雄が広告文中にある海軍中佐リチャード・バードである。バードは1926年に北極飛行を果たし、1927年7月29日、パリをめざした。
「アメリカ」と名付けられたスリー・エンジンの飛行機に乗るのは彼のほかに飛行のベテラン3人。通信装置や空気抵抗を増すジェネレーターのプロペラなど、それでなくとも重くなっている機体にパイロットとナビゲーターに加えて2人を乗せたのは、大西洋を横断する旅客飛行の可能性を考えていたのだという。濃い霧と強い雨、打ちつける風、木の葉のように揺れる機体から4人は眠りについたパリの街を確認した。しかし、着陸不可、ほとんど空になったガソリンタンクをつけたアメリカ号は、ヴェル・シュル・メールの浜辺に墜落する。暗黒の夜の海のなか、4人の男たちは互いの生命の無事を確認しあっていた。
このとき、どんな時計がその飛行を記録していたかは知るよしもない。しかし、「いつも遠く水平線のかなたをみつめる哲学者のようだった」といわれるバードが、時間と空間を制覇しようと夢見ていたのは疑う余地もないだろう。多くの冒険譚とともに時計が語られるのは、時計の針の「秒」秒の動きが時間の制覇の確認であり、時計がそのものいわぬ証言者となるからにちがいない。
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