
近鉄名古屋駅から電車を乗り継ぎ約90分、伊勢街道が走り、

斎宮駅を中心に137haが国指定の史跡、また、日本遺産にも指定されている特別なエリア。ここにはかつて、伊勢神宮に天皇の名代として祈りを捧げた未婚の皇族女性を中心とする都がつくられていた。
現代に蘇る「斎王(さいおう)」

彼女たちは「斎王」と呼ばれ、神に仕える務めを果たすために選ばれた特別な存在であった。歴史上の初代斎王は、天武天皇(670年頃)の娘・大来皇女(おおくのひめみこ)。この制度は後醍醐天皇の時代(1330年頃)まで約660年間続いたとされる。

天皇に代わり伊勢神宮の祭祀(さいし)を担った皇女斎王を偲ぶまつりが、昭和58年にはじまり、毎年6月に行われる「斎王まつり」だ。
斎王まつり
檜扇承継(ひおうぎしょうけい)


斎王の役割が引き継がれることの象徴として、斎王まつりでは檜扇が手渡される。第42回斎王まつりでは第39代斎王の三田空来さんから第40代斎王の菅尾彩夏さんにその使命が承継された。
禊の儀(みそぎのぎ)


斎王は天王が即位すると、未婚の内親王または女王のなかから卜定(ぼくじょう)と呼ばれる占いの儀式で選ばれた。斎王になると、宮中に定められた初斎院に入り、翌年の秋に野宮に移り、潔斎(けっさい=神様に仕える人や、お祭り・神事・参拝などに向かう前に、 心と体を清める行いのこと)の日々を送る。そして、出発の朝、斎王は野宮を出て、現在の桂川で禊を行った。
発遣の儀(はっけんの儀)


桂川での禊を経た斎王は大極殿での発遣の儀式に臨む。そこで天皇は斎王の額髪に小さな櫛をさし、「都の方におもむきたもうな」と告げる。平安文学のなかで「別れの御櫛」と呼ばれるこの儀礼は、乱れ絡んだ髪をまっすぐ解き分けるように、道中乱れもなく、まっすぐ進むように」との祈りを込めたものと考えられている。出発のときを前に斎王が旅立ちの決意を伝える。
切麻の儀(きりぬさのぎ)
子ども斎王役の細田心さんらが旅路を祓い清めるようにみなさんの安全を祈り、斎王役の菅尾彩夏さん、女別当役の河原晟永さんをはじめ、総勢99名の群行がはじまった。
斎王群行



都から伊勢へ向かう道中を再現した「斎王群行」では、平安時代の装束をまとった人々が華麗な行列を繰り広げた。
斎宮ってどんなまち
斎宮歴史博物館




2024年3月、愛子内親王殿下も立ち寄られた、斎宮跡(国指定史跡)に建てられている三重県立の歴史博物館。テーマ博物館であると同時に、埋蔵文化財センターが併設されている。斎宮と斎王の歴史がギュッと詰まった、まるで宝箱のような館だ。
竹神社




ひっそりと佇む「竹神社」は、歴史と神秘が交差する静謐なパワースポット。平安時代の斎王と深い関わりがあり、周辺からは大規模な塀列や掘立柱建物の跡が発掘されている。
さいくう平安の杜

「さいくう平安の杜(もり)」は平安時代の斎宮を体感できる貴重な史跡公園。斎宮跡の一角に、当時の建築様式を忠実に再現した建物が3棟(正殿・西脇殿・東脇殿)復元されており、まるで千年前へタイムスリップしたかのような空間だ。
いつきのみや歴史体験館

平安時代の斎宮を五感で楽しめるスポット。斎宮跡の中央に位置し、当時の暮らしや技術、遊びを実際に体験できるのが魅力だ。
古代伊勢道

京都から伊勢へと向かう「斎王群行(さいおうぐんこう)」は、壮麗な行列で旅をしていた。その旅路で通ったのが、まさに古代伊勢道。沿道の村々では斎王一行を歓迎し、信仰と文化が交差する重要な道として栄えていた。


三重県多気郡明和町。この町の総人口は約23,000人。斎王まつりにはここ斎宮に、国内外から約33,000人もの人たちが集まってくる。北の松阪、南の伊勢は誰もが知るエリアだが、その中間に位置する斎宮は、これだけの歴史と施設があるにもかかわらず、意外と知られていない。かつて都を築いていた、史跡全体がパワースポットの斎宮。訪問する価値が十分にある!

斎王まつり実行委員会
(左から)東谷泰介さん、大西悠太さん、高橋真衣さん、川合将平さん。この4名をはじめとする実行委員と、賛同する人々の力によって斎王まつりは運営されている。来年も楽しみだ!