追悼 中尾彬さん ~モノ・マガジン「続ゴジラ対モノ・マガジン」(2024 5-16号)より~


5月22日、俳優の中尾彬さんの急逝が伝えられました。モノ・マガジンでは5月2日発売の「続・ゴジラ対モノ・マガジン大特集」において、映画監督:手塚昌明氏との対談を4ページで実施しており、まさかという思いでいっぱいです。今回モノ・マガジンwebでは亡き中尾さんへの追悼の意味を込め、所属事務所および取材関係者のご厚意で当該対談記事を掲載します。中尾さんのゴジラ出演にまつわるアツい想いが、読み手の皆様に伝われば何よりです。
(以下より対談記事となります)

ゴジラ映画に真剣に取り組みつつ、楽しみました

VSシリーズでゴジラ討伐に燃える麻生司令官を演じて、SFドラマに熱い人間の血を通わせた名優・中尾彬さん。『ゴジラ×メカゴジラ』では、手塚昌明監督の演出で、怪獣災害に苦しむ国民を救うヒーロー・五十嵐総理を好演した。今回、中尾さんと手塚監督の座談会が実現! 名優がゴジラとの激闘を振り返った!

写真/佐々木龍 文/中村 哲 原稿作成協力/mayoko

絶対にゴジラに負けちゃいけない男・麻生司令官

――中尾さんと手塚監督が、それぞれ最初にご覧になったゴジラ映画は?

中尾 私は1本目の『ゴジラ』(54年)で、10歳くらいの時だね。当時は千葉の木更津に住んでいて、目の前が東京湾でそこから黒くてヌメっとした巨大な生物が上陸して、よくこんなの作ったなと思って。それが夢に出てきてね、怖かったですよ。

手塚 1作目のゴジラは怖いですよね。

中尾 当時はけっこうな本数の映画を見ていましたけど、このゴジラの怖さはちょっと他にはないものでしたね。

手塚 自分は第3作の『キングコング対ゴジラ』(62年)です。とにかく理屈抜きに面白い映画で、しかもゴジラがカッコよくて。夜のシーンではゴジラの眼が光っているのが不気味で、本当に生きているような感じがして。この映画を観て映画の仕事をやってみたいと思うようになりました。

――中尾さんはゴジラ映画への出演前に、東宝特撮作品『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』(70年)にも出演されていますね。

中尾 ああ、山本迪夫監督の作品だね! 手塚さんと同じように、あの監督さんは映画を撮ってる感覚ではなくて、何か運動場で一緒に遊んでるような感じでね。相手役の松尾嘉代さんは、僕が日活の第5期ニューフェイスの頃からの仲間なんですよ。なんだか東宝らしくない恐怖映画でしたが、結構評判になったみたいですね。

――このような作品の非現実な世界を演じられるのは楽しいですか?

中尾 いやいや、出来上がった作品は恐怖映画になっているけれど、自分らが演じている時は決して恐怖とは思っていなくてね。真剣にリアリティをもってやりました。

――さて、おふたりが最初にゴジラ映画で組まれたのは、シリーズ第20作の『ゴジラVSメカゴジラ』(93年)です。

手塚 中尾さんの役はGフォースという対ゴジラ戦闘部隊の麻生司令官。「今度こそヤツの息の根を止めてやる」というトップシーンのセリフが、実にカッコ良かったです。

中尾 今見ると、けっこう力んでいるね(笑)。このトップシーンは、セリフなんかはどうでもよくて、セリフの強さよりも、例えば目線だとか皮膚の震えだとか、そういう表情の方が大切なんだよ。

――手塚さんは本編のセカンド助監督です。

手塚 セカンドは合成の担当になるんですが、サードの助監督が決まるまでは衣装を担当しました。他のスタッフに「中尾さんは(『本陣殺人事件』(75年)で)金田一耕助を演じられて二枚目でカッコいいんだ」とか言っても、けっこう知らないんですよ。でも、中尾さんがGフォースの指揮をすれば、皆がゴジラに勝てるかもしれないと思っていました。何より強そうだったので(苦笑)。

中尾 ああ、そう(笑)。この頃は若いなあ。

――この司令官役は、けっこう敵役みたいな感じですね。

中尾 それは司令官として、「絶対にゴジラに負けちゃいけない」みたいな意気込みがあったからだろうね。

手塚 スタッフの間では、優しい感じの瀬川長官役の佐原健二さんとの対比からか、中尾さんはゴジラより怖いと言われていました。

――中尾さんが着られた司令官の衣装については?

手塚 事前に私が描いた画をもとに、 大河原監督と打ち合わせをしました。「この記章は米軍のパウエル長官参考」とか書いて衣装部に渡しましたね。

――着こなしや飾りつけのモデルやイメージは?

中尾 いや、それはなかったね。当時は何かしら自信満々だったから(笑)。やっぱり制服はそういう強さを象徴しているけれど、ゴジラよりも強いと思われるような存在感を出そうという、制服を着るとそういう気になりましたね。

――現場での大河原監督からの演技指導は?

中尾 演技についての注文は全くなかったね。ゴジラを目の前にしての演技は現実にはできないから、そこに今いるんだ! という感覚が大切でね。

――手塚監督が、この作品の中尾さんについて覚えられてることは?

手塚 カメラが回ると目がぎょろっと向いて、けっこう怖かったですね。大河原監督がいろいろ注文をしなくても、もうグッと出てくるんで。「ああ、すごい演技だなあ」と思って見ていました。

――自分が監督になったら、中尾さんに出演してもらおうと思われましたか?

手塚 それはもちろん! 自分の監督作では、中尾さんに二枚目の役で出ていただきたいと考えていました。

――この作品の頃は、まだバブル時代の余波がありました。

中尾 やっぱりある種の遊びというか余裕があったんだと思うし、フィルムならではの映像の良さもあったと思いますね。

巨大な敵に挑む総理大臣の決意を背中で見事に表現

――そして『ゴジラ×メカゴジラ』(02年)では、手塚さんは監督に昇進されて中尾さんを演出されることとなりました。

手塚 中尾さんが演じられた五十嵐総理ですが、当初この役は違う俳優さんが演じる予定だったんですが、衣裳の件で私と意見が合わずに降板されました。それで困った東宝映画の演技課長が、以前からつきあいのあった中尾さんに急遽お願いをしたんです。それですぐに「急に俺のところに来たのはよっぽど困っているんだろう、だったら良いよ、俺出るよ」と言われたそうで。

中尾 うん、「この映画のスケジュールに合わせて、今入っている予定を全部断ってくれ」と、その場のマネージャーに伝えてね。

手塚 それで「これで良いよな?」とニコッとされたとのことで、「中尾さん、カッコいいです! 男はこうあって欲しいです」と涙が出る程嬉しく、ふたつ返事で引き受けてくれた中尾さんに対して、絶対に失礼な作品にしちゃいけない」と身が引き締まる思いでしたね。

中尾 自分としては、これまでの司令官役から総理へと大出世だね(笑)。

――心温まるエピソードですね。本作中では、水野(久美)さんから中尾さんへの総理大臣のバトンタッチがありました。

手塚 これは田中真紀子さんが絶対総理になるだろうという、そういう時期でしたから。だったらこっちが先に女性総理を作っちゃおうと、それをドラマの中に反映させました。結局、田中さんは総理にはならなくて……。

――手塚監督は、中尾さんをどんな総理にされようと?

手塚 VSシリーズの各作品では、中尾さん自身は負けていませんが、メカゴジラやMOGERAが破壊されてしまうのがイヤで。ですから最後の最後まで総理は毅然としていて、戦いを終えた機龍もその姿を止めているという。決してゴジラには負けていないという、その姿勢を貫けたかなと思っています。

――五十嵐総理役の演技で覚えられていることがありましたら。

中尾 VSシリーズでは、ゴジラに勝とうとの思いが強くて目線が上に行くんです、それが総理大臣だとちょっと目線がこう下へ向いてね。何かそういう目線ひとつで表現が変わるんですが、あとは肩の落とし方とかね。それは芝居ではなくて、何か日常の中で得たものなんですよ。

――中尾さんにとって、手塚監督はご記憶されている監督さんのひとりですか?

中尾 うん、そうだね。手塚さんのことをなぜよく覚えているかというと、当時の総理が小泉(純一郎)さんで、その頃は小泉さんも何かたそがれてきた頃でね。この作品では監督が自分の後ろ姿のシーンを撮ってくれて、総理の持つ苦悩というものを「よく分かっているなあ」と思ってね。

手塚 階段を降りつつ「機龍を出動させる!」と後姿で命令し、階段を降りきったところで振り返り「機龍の司令室で待っているぞ」と語る。撮りながらも本当にカッコいい! と思いました。

――中尾さんは引き続き、翌年の『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(03年)でも同じ総理役を演じられました。

中尾 やっぱりそれは嬉しいもんですよ、正に役者冥利につきますね。例えて言えば、寅さん映画に連続して呼ばれた女優が喜んでるのと一緒ですよ(笑)。

――ゴジラ映画での共演者の方々のエピソードを。

中尾 先輩の佐原(健二)さんや小泉(博)さんは、東宝らしくもの静かな方たちでね。水野(久美)さんは北陸の女性らしいさっぱりした感じの方で。ゴジラ映画でたくさん共演した上田(耕一)さんは、すぐ二言目には「俺は新劇だから芝居が違うんだよ」と言っててね。それを聞いてこっちはムッとしてね(笑)。

手塚 「芝居は理屈じゃないんだ」とかね(笑)。

中尾 ゴジラ映画の演技は頭で考えて演じてもダメで、体全体で感じないと。それから(『ゴジラVSスペースゴジラ』(94年)の)柄本明君は、いい役者で前から共演してみたかった。こっちがパーッっていくと、スッと外す。その外し方がうまくてね。

――女優さんはいかがですか。

中尾 自分と同様に同じ役を演じていた小高(恵美)君とは、あまり絡まなかったから話をすることもなかったな。『ゴジラVSスペースゴジラ』の吉川(十和子)君は、けっこう気の強い感じの女性だったね。

――ゴジラ映画を振り返られて、それぞれどんな思いがございますか?

中尾 ゴジラ映画には本当に真剣に取り組みつつも、自分も楽しんだっていうかな。やっぱり演じられて良かったとの思いしかなくて。アメリカに行った時も、「ゴジラ映画の役者さんですよね」と声をかけられることもけっこう多くて。自分にとってのゴジラの存在といえば、当初は恐怖の対象でしたが、いくつもの映画の中での戦いを経て、現在ではすっかり友達みたいな感じになりましたね。

手塚 自分にとってのゴジラといえば、映画製作に当たっての良いところや反省点など、いろんなことを教えてくれる、正に人生の先生です。世の中が許してくれるのであれば、改めて中尾さんにも出演してもらえるような、新しいゴジラ映画に挑戦してみたいですね。

profile
中尾 彬 なかお・あきら
 1942年千葉県出身。62年、日活ニューフェイスの第5期生として『月曜日のユカ』(64年)でデビューし、現代劇、時代劇を問わず存在感のある演技で人気俳優に。バラエティ、CMでもマルチに活躍。池波志乃とのおしどり夫婦ぶりも人気に。ゴジラシリーズ出演は6本を数える。

profile
手塚昌明 てづか・まさあき
 1955年栃木県出身。多数の市川崑作品で助監督を担当。熱心なゴジラファンとしても知られ、『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(00年)で念願の監督となり、『ゴジラ×メカゴジラ』(02年)と『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』でゴジラと機龍と人間のドラマを描き出した。

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