[#042]東北のものづくりを支援する「ジラール・ペルゴ 東北マニュファクチュール・エイド」

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文/香山知子/『世界の腕時計』編集長

ジラール・ペルゴ 東北マニュファクチュール・エイド
初めての体験ながら、真剣にムーブメントに対峙し、器用に手を動かす男の子は「未来の時計師候補」。白衣を着て、スイスから来日した若い時計師、ロラン・アエビさんとのツーショットにもご満悦(上の写真)。最後に全員で記念撮影をし、また子供たちには時計師と同じルーペがプレゼントされた。


日本とスイスの国交が樹立したのは1864年で来年は150周年を迎える。しかしそれ以前から横浜で時計の販売を開始していたスイスの時計メーカーがある。ラ・ショー・ド・フォン(スイス)に本社を構えるジラール・ペルゴだ。

1860年、創業者一族のフランソワ・ペルゴはアジアに支店を設けるために日本にわたり、横浜に居を構え、日本で初めてスイス時計の販売を始めた。そして日本とスイスの友好通商条約が締結された翌年、横浜にF.Perregaux & Co.を創設し、43歳でこの世を去るまで横浜に暮し、現在も横浜外人墓地に眠っている。

このように日本との関わりが深いジラール・ペルゴは東日本大震災で大きな被害を被った東北の人々を長期にわたって支援するために、「東北マニュファクチュール・エイド」のプロジェクトを2013年3月から開始した。

「東北マニュファクチュール・ストーリー」は、ジラール・ペルゴがサポートし、宮城県石巻市男鹿半島を拠点に、ものづくりを通して被災地の支援活動を行う一般社団法人”つむぎや”が運営するWEBサイトメディアだ。WEBサイトでは、被災地のものづくりの様子や、それぞれの現場で紡がれた物語を伝えている。

さてジラール・ペルゴは9月28日(土)、プロジェクトを通して知り合った宮城県亘理町の一般社団法人”WATALIS”の人々の協力により、亘理町の子供たちのために「マニュファクチュールって何?」と題したイベントを開催した。

WATALISは地元の主婦たちが立ち上げた団体で、被災した呉服店から譲られた呉服地で巾着”FUGURO”などを製作し、ジラール・ペルゴとは「ものづくり」という共通項がある。

「マニュファクチュールって何?」では会場となった亘理町の悠里館3階視聴覚ホールに、WATALISでFUGUROを製作する女性11人とその子供たち19人が集まり、スイス本社から訪れたスイス人時計師ふたりと東京のサービスセンターで働く日本人時計師ひとりが作業台の上で時計づくりを披露。また子供たちには時計の組み立てを体験するワークショップも開かれた。なかにはイベントが終わっても作業台から離れない男の子もいたという。

子供たちにとっては、日頃、触れることのない機械式時計の精緻な世界を知る貴重な機会となり、またWATALISでFUGUROを作る女性たちにとっては、ものづくりの職人に通じる心を感じた機会となった。

ジラール・ペルゴの日本代理店、ソーウインド・ジャパンの社長、岡部友子さんは「このイベントをきっかけに将来、スイスで活躍する時計職人が現れることを期待しています」と述べている。

なお、このイベントはhttp://www.tohoku-manufacture.jpの[ANOTHER STORY]で動画を公開中。

ジラール・ペルゴで活躍する若い時計師を紹介する「ニュー・フェイス・オブ・トラディション=伝統の若き時計師たち」
サムライ オペラ

ジラール・ペルゴの若い時計師

ジラール・ペルゴの若い時計師

ジラール・ペルゴの若い時計師たちの仕事と趣味を紹介するデジタルジャーナル、www.thenewfaceoftradition.comの第3弾に日本人時計師の植松純さんが登場。オペラに魅了された彼は、次のようなコメントを寄せている。

“サムライ オペラ ”
7年前、私は故郷の日本を離れ、様々な国を旅し、第二の故郷スイスへと辿り着きました。私はたくさんの物を箱に詰め、その他の物はいつも持ち歩きました。もちろん、思いやりと心を持ちながら。これらの「持ち物」は歌う為の情熱であり、それは幼少時代、家族と楽しんだカラオケにより培われたものです。

スイスに到着した時、私は探し求めていました-海外居住者が試みること-それは新しい国において、自分の祖国の文化に少しでも触れる何かを探し求めることです。私は日本の聖歌隊に定期的に会い、様々な地域の場にて練習したりパフォーマンスを行ったりしました。その団体は、主に日本の伝統的な歌を中心としたレパートリーで活動しており、私はそこに加わり、学びました。聖歌隊指揮者からイタリアのオペラの練習を提案された時、私は少し戸惑いました。

私の困惑は少し続きましたが、日本の伝統的な音楽の作曲とは対照的な、そして情熱的な感情溢れるオペラに恋をしたのです。私達の歌が日本の歌からオペラに変わった時、観客の顔の表情が変わるのをはっきりと見ました。当初は期待していなかった組み合わせに、衝撃もしくは困惑した表情を浮かべていた観客の表情が、たちまちたくさんの喜びの表情へと変わっていきました。

様々な点において、時計製造とは、制御され、そして情熱と力強さに溢れた音楽を形作るものに似ています。そして、それは心に届く芸術なのです。