
1970年代、昭和のど真ん中の時代に生まれたSFアニメーションの金字塔が『宇宙戦艦ヤマト』。ほぼ同時期に「西遊記」も数多くの作品がTVに登場した。この深くて濃厚なふたつの物語の魅力について考察してみた!
文とイラスト/高山宗東
『宇宙戦艦ヤマト』は『西遊記』なり――この一文について掘り下げた考察を、という依頼を受けた時に、なんだか少年のようにワクワクと心が躍った。仕事柄、「源氏物語の構造を繙いてください」とか、「戦国時代のサバイバル本について纏めてください」などという依頼はよく受け、それはそれで楽しいのだが、宇宙戦艦ヤマトと西遊記の考察は、それらとはちょっと異質に心が逸った。
「宇宙戦艦ヤマトは西遊記」というフレーズは、SF考証を担当された豊田有恒氏の言葉として知られている。
言わずもがな、ではあるが『宇宙戦艦ヤマト』は、1974年にシリーズの第一作が放映され、2024年の今年50周年を迎える、日本SFアニメーションの金字塔。この物語のコンセプトをつくりあげる際、豊田氏の頭の中にあったのが『西遊記』であったという。人心荒んだ世を憂い、天竺に至る長く辛い旅路の果てに有難い経典を持ち帰り、人びとを救う物語……これを下敷きに、ガミラス帝国からの攻撃によって荒廃した地球を救うため、「放射能除去装置 コスモクリーナーD」を受け取るために、はるか14万8000光年離れたイスカンダル星に向けて旅立っていく、というコンセプトがつくられた。
メタファーを解く鍵は、物語の細部に布石されている。たとえば「イスカンダル」は、その昔、遠征を馳せたアレキサンダー大王の名が転訛した一種のシルクロード語。また異星人の名にも、サンスクリット語由来の言葉がしばしば見られる――しかし、『宇宙戦艦ヤマト』と『西遊記』の関係性は、俯瞰するとさらに深まっていく。
このふたつの物語についての考察を依頼された時、私の心が通常とは異質な浮き立ち方をした理由は、おそらくは物語性の濃厚さであろう。
「荒廃した国を救うために、恐ろしい妖怪がはびこる困難な旅路を越えていく」「人類滅亡まで1年! 期待の人が俺たちだ!」という、とんでもない使命感と自己犠牲を孕んだ物語のゾクゾクする感じは、人間の生活をシニカルな視点で猫が眺める『吾輩は猫である』には無い(好きな小説だが)。つまり、『西遊記』や『宇宙戦艦ヤマト』には、人の心を搔き立てる要素がある。そして、このようなコンセプトの解り良い物語は、反復再生産が可能だ。
実際に玄奘が取経の旅に出たのは、629~645年の7世紀のこと。やがてその旅は伝説化され、9~11世紀には用心棒代わりの供として虎を連れた「虎行者」の姿で描かれるようになり、12世紀の頃には猴(猿)と馬を連れた行者となり、さらに13世紀には猴を擬人化した猴行者を供とするようになる。
宋代(960~1276)になると、現在の西遊記の原書ともいうべき『大唐三蔵取經詩話』などが書かれ、これらが書写されていく過程で、さまざまな要素が加わっていった。たとえば沙悟浄が首からぶら下げている無数の骸骨は、玄奘が前世において取経の旅に途中に深沙神に食われたそれで、深沙神は沙悟浄に転化し、弟子となる因縁が込められたりしはじめる。
明代(1368~1644)には『西遊記傳』(楊至和本)、『唐三藏西遊傳』(朱鼎臣本)、『新刻出像官板大字西遊記』(世徳堂本)などの版本が出まわったが、最も詳細な『新刻出像官板大字西遊記』には作者名の記述が無い。つまり、書写の課程でさまざまに書き込まれ、研ぎ澄まされたがゆえに、特定の作者を絞り込むことができなかった、という側面もあるのだろう。
清代(1616~1912)には読みやすいダイジェスト版も多く刊行され、戯曲「西遊雑劇」としてもさかんに上演され、誰もが知る物語となった。
反復再生産は、日本においてさえ繰り返され、夏目雅子さんが玄奘を演じたり、ドリフターズの人形劇があったり、アニメでは手塚治虫氏の『悟空の大冒険』や、広い眼で見れば鳥山明氏の『ドラゴンボール』もそれだろう。
『宇宙戦艦ヤマト』も度重ねて続編が作られた作品だが、さまざまに複雑な背景から、前作品との整合性がとれないことが多々あった。このあたりの背景は、別々の場所、別々の人が個々に書写の過程でさまざまな要素を付け加えた『西遊記』の成長過程とよく似ている。
やがて、そうした無数の著者の中から、整合性を鑑みて物語を整えていく天才も現れる。『宇宙戦艦ヤマト』においては、『宇宙戦艦ヤマト2199』で総監督とシリーズ構成を担当した出渕裕氏のような人だ。デスラー総統といえば青い肌だが、ガミラス星人の肌は第11話から突然、青色になる。それ以前に登場したガミラス星人の肌は、地球人と同じだ。多くの視聴者が「どうして?」と思い、たぶん突然の設定変更だったのだろう、なんの説明もなく物語は進んだ。
当時高校生だった出渕氏も散々悩んだ挙句、「青色でない者は植民星出身の二等ガミラス臣民」という解釈を思いついたという。そして、長い年月を経て、ついに、『2199』において整合性を正すのである。
放送開始から50周年を迎え、さまざまな続編がつくられている『宇宙戦艦ヤマト』であるが、『西遊記』と同様に、さまざまな時代、さまざまな人びとによって描き加えられ、研ぎ澄まされ、整合性をとられたがゆえのことであって、両作品ともに、今後も長く人びとに愛され、育まれていく証左――のように思えてならない。
©東北新社/著作総監修 西﨑彰司
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