連載 特撮ばんざい! 第7回:本誌「ウルトラセブン大特集」発行記念 平成ウルトラセブン対談-完全版―前編だけで1万字!


鵜川 薫×山﨑勝之

テレビスペシャルを切っ掛けに、オリジナルビデオシリーズ3シーズンの大河シリーズに発展し、新たな宇宙人と地球人の物語を築いた平成ウルトラセブン。メインキャストの二人が、時の流れを飛び越えるぶっちゃけトークで、ウルトラ盛り上がった! 
大好評発売中の本誌11ー16号『史上最大のウルトラセブン大特集』掲載のスペシャルインタビューをノーカット公開する!

平成ウルトラセブンとは?
©円谷プロ
シリーズ屈指の人気を誇る『ウルトラセブン』の最終回に直接繋がる世界観の続編として、1994年のテレビスペシャルからスタートした平成セブンシリーズ。1998年から5 年に渡ってリリースされたOV全3 シリーズ14本では、新生ウルトラ警備隊が直面する、人類の過去と未来を巡る壮大な戦いが描かれた。

●応募2000人の狭き門だった平成のウルトラ警備隊!

――平成ウルトラセブン3部作の撮影が97年ということで、25年前のことを振り返りつつ色々お聞きできたらと思います。

まずはオーディション参加への経緯からお聞かせください。

鵜川 もともとは一般公募されていたんですよね、雑誌にも「君もウルトラ警備隊になれる!」という広告が出ていたんでしょ?

山﨑 オーデョション雑誌の『デ⭐︎ビュー』とかにね。ちなみに、僕は高校生の時から『デ⭐︎ビュー』を読んでましたよ。

――3部作の方で2000人近い応募があったみたいですね。

山﨑 一般公募と同時に、各方面の事務所にもこんなオーディションがあるんだけどっていうお知らせが来て、僕はそこからですね。

当時、なかなか世に出るきっかけがなくて、ヒーロー役は若手役者の登竜門だったりしてた時代だったので是非という形で。

鵜川 私は、事務所から円谷プロのオーディションがあるので行ってくださいと言われて参加しました。

女性隊員はなかなか決まらなかったみたいで、私が決まる前にはもう男性隊員たちは決まってたらしいんですよ。

それで、最後の最後に事務所の方に声がかかって。

――当時のオーディションの思い出はありますか?

山﨑 まずは、「ここが円谷プロダクションか!」ってことですよね。

自分は、やっぱりちっちゃい頃からウルトラマンを見ていて、子供の頃にセブンのポーズをして撮ってた写真がいっぱいあるんですよ。「あの作品を作っている円谷プロなんだ!」っていう感動が大きかったですね。

オーディションでは、緊張もあって、自分の名前を言わなかったことだけ覚えてます。

オーディションが終わった後に「やばい!名前言ってない」って(笑)。

鵜川 ねぇ、そこなの?(笑)。

セブンに憧れていた幼少時代の山﨑さん。エメリウム光線!

山﨑 でも、それまでが逆に落ちまくってたので、名前言わないと受かるんだ……ってジンクス的なのが生まれちゃって(笑)。

あとは、自分は空手を10年くらいやっていたので、特技披露で空手をやったのを覚えてますね。

一発芸……じゃなくて(笑)、一芸披露があって。

――鵜川さんはいかがですか?

鵜川 もちろんもちろん覚えてますよ、どっかの誰かと違って(笑)。

旧円谷プロさんって、控え室にいるとオーディションやられている方達の声が筒抜けに聞こえてくるんですよね。

歌を歌ったりとか、側転やります!とか、そういうことをやられてるのが聞こえてきて。

私、特に一芸も無かったので「うわ、どうしよう」と思って。特技披露みたいなのがあるって、その場で聞いたんですよ。

5、6人で控え室からオーディション会場にわーって行って、じゃあ端から自己紹介と自己PRっていう感じで。

それで、たまたまその時、一年間ぐらいかけてボクシングを習ってたんです。

じゃあボクシングやるかと思って、シャドーボクシングを見せたんです。

どうもそれがヒットしたらしくて、「この子だ!」ってすぐ決まったって後から聞きました。

その時のイメージが脚本にも生かされて、この子は色々出来るからアクションなんかもやらせていこうって、サトミのキャラクターが出来上がっていったらしいんです。

ハヤカワ・サトミ隊員。ハートの強さも身体能力も男性隊員に引けを取らない。

©円谷プロ

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