[第1回] 大貫妙子 音楽活動40周年アニバーサリーブック発売記念 トークライブ報告@新宿紀伊国屋ホール

 

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 最近ポップス好きの話題は「日本のシティポップ」。
判りやすいところで言えば、山下達郎とか、キャラメルママとか、荒井由実とか、大瀧詠一とか、爽やかな都会の音楽というか、そう言うものですね。でもきっとご当人たちはそんなことを意識してやられていたのではないと思う。その人たちのもって生まれた気質というか、それこそ視力がいいとか足が早いとか、漆のように深い黒髪だとか、そういう本来もっているものを滋養に歌を作ったら自然にそうなった、といえましょう。
そしてこの方もそうだと思われる。シンガーの大貫妙子さんだ。
1974年、山下達郎らと組んだポップスバンド「シュガーベイブ」でデビュー。1976年に『グレイ・スカイズ』でソロデビューして以降、一貫して自分の中から沸きだす泉のその上澄みで音楽を作ってきた人に見える。むろん、その背後にある苦労は、この際カウントしない。私たち他人は知りえないし、本人が公式に言うこともないことがらだ。

その大貫さんが「大貫妙子 デビュー40周年アニバーサリーブック」の発売イベントとして、6月28日(土曜)に新宿紀伊国屋ホールでトークライブに出席した。本稿はそのライブ(?)レポートである。「モノマガwebでは珍しいんじゃないですかこういうの?」とは聞いてくれるなおっかさん。なぜならモノマガ男は大貫妙子のファンだからよぅ。
司会進行は音楽ライターの天辰保文さんである。

「私はどうやら、アンニュイでレースのカーテンの前で籐のイスに座って紅茶飲んでる(笑)みたいなイメージをもたれているようです。まあ、今まで作った音楽やジャケットのせいもあると思いますし、そういうイメージをもっていただくことは構いませんが、この音楽業界というのは、そうやって優雅に紅茶飲んでたのでは40年やってこれないわけで(笑)」

と語る大貫さん。実は音楽以外の部分では初めて大貫妙子を目の当たりにするモノマガ男もまた、アンニュイ系イメージ保有者であって、へえ~意外。でも楽しそうにお話になる。そもそもの音楽活動以前はどんな暮らしをと尋ねられると、

「いわゆる普通の音楽好きで真面目な高校生でした。それが3年生の夏休み、ウッドストックの映画を見て強いカルチャーショックを受けた。アメリカがすごいことになってる! 今までの私はナンだったんだろうと。70年代の日本はブルーズとハードロックバンドが音楽カルチャーの中心でしたから、私も村八分とか好きでライヴに行ってました。知ってます? 村八分。山口富士夫さんのギター。その後アマチュアバンドを経て、山下達郎さんとバンド組むことになってシュガーベイブとして1974年にデビューしました。それは良かったんですが、わたしたちは楽器でソロパートをお見せできるほど巧くはなかったし、おまけにブルースでもハードロックでもなくて、メジャーセブンを多用する、当時とすれば軟弱な音楽。いわゆるシティポップスでしたから。で、こんな私達が、ものすごい大きな音を出すバンドがたくさん出演する日比谷野音とか夏のロックコンサートに出ちゃうと、『ひっこめ!』とか『軟弱〜!』とか、言われて。お客さんは昼間から飲んでし、空き瓶だったか何か飛んで来る。ほんと、あの時代は、そんな想い出ばかり(笑)。もちろんシュガーベイブがあったから今の私がいるのですけどね。とてもよい経験をいたしました」(笑)

トークライブ会場に集った250名を超す妙子ファン達も思わず笑う。むろん、空き瓶は投げない。

「70年代はカントリーとブルーグラス以外は、あらゆるジャンルをむさぼるように聴いてました。山下達郎さんと出会ってブルー・アイド・ソウル系とか、さらに音楽の幹から枝葉におよぶジャンルがより深まって勉強になりました。彼のファーストアルバムを聴いた時『すごい!』と思ったのと同時に、こういう音楽はシュガーベイブでは実現できなかったなぁ、と納得しました」

ソロではどんな世界を歌ってきた?

「街をテーマにした歌が多いとは言われますが、この場合の街とは東京。東京は私の故郷ですから。井の頭沿線に生まれ育ったので。東京は64年のオリンピックを境にどんどん変わって~これで私は故郷を喪失したと感じているわけですが~しまいましたけど。はっぴいえんどの山手の「風街」とも、はちみつぱい~ムーンライダーズの「湾岸」とも違う。私の知っている東京です。歌詞では、都市をネガティブに捉える時もありますが、愛情の裏返しですね。」

「世界の音楽の大半は、いわゆるラブソングだと思うんです。好きだ嫌いだ、出会ったり別れたり。私はそのラブソングに向き合う時、男女の性差なしに、ひとりの人として感じる心の不条理を歌にしたいと思っているので。ののしったり、恨んだりっていうのではなく、現実はいろいろあっても、時が経つとわかることがたくさんありますしね。縁があって一緒になったふたりなのだから、その意味を大切にすべき、と思いますよね。といって、若い頃はやっぱり近視眼的ですからそんな気持ちにはなれないでしょうけど。年を重ねてくると、恋より人間力に惹かれるようになるし(笑)。このままいくと、80歳くらいになった時に、もう一山越えた新境地のラブソングが書けるかも(笑)」

これからどんな音楽を?

「東京という故郷を喪失した私としては世界のどこで暮らしても構わないのですけど、音楽をする以上は何かお役に立ちたい。やはり聴いてくださる方たちの顔を思い浮かべながら作ることしかできないんですね。だからファンの方の数が増えることはあまりないようです(笑)」

(ここで大貫さんが会場に語りかける)

「今日、ひとりで来られた方どれくらいいますか?」

(ざっと会場の7~8割が手を上げる)

「みなさんがひとりでもふたりでもお友達を連れて来てくださると、もっと増えるんですけど(笑)。といっても私自身、コンサートも映画も買い物もひとりで行くので。単独行動が好きな質だから、結局、皆さんと同じタイプの人間なんですね。ファンは私の鏡です」

「昔、レコード会社の人に、『ヒット曲書いてくださいよ』っていつも言われてましたけど、それができれば苦労はないですよね。でも、ヒットしている曲が自分にとって好きな音楽であるかといえば、そういうことはないので。とても個人的な人のために心を込めて書いた曲であれば、それは同じように人の心にも届くと思います。」

では今回のアニバーサリーブックについてひとこと。

「企画を頂いて、それから私とマネージャーであれこれ組んでみて、古い資料などもいろいろな方の力で集めることができました。40年分ですから全部はもちろん載せられないわけですが、資料として残せるいい機会を頂いたと思っています。落ち着いた本になったと思います。」

トークライブ終了後はサイン本手渡しの儀式があり、これがまた時間がかかった!きっと大貫さん本人も足腰疲れたのではと余計なお世話をしてしまうくらいの、密度の高いファンとの邂逅の場であった。いいライブでした。

「あー、緊張しました。歌ってるほうがラクですね(笑)」

と最後に笑顔の大貫妙子さんでした。

最後にモノマガ男による大貫妙子ビギナーズガイドをば。

大貫妙子といえばアレンジャー/プロデューサーとしての坂本龍一とのタッグ盤は欠かせない。初期に多く、中期、最近とちょいちょいあるが、まずはYMOの3人がこぞって演奏参加&名曲揃いの初期の名作『ロマンティーク』(下①)。

1曲目「カルナバル」はイントロからテクノ色全開でこの方面が好きな人は必聴。当時の大貫さんの割とぶっきらぼうというか無責任なクールビューティ的歌いっぷりが男前でグッときます。4曲目の「若き日の望楼」は身もだえする超名曲。これ1曲でゴハンおかわりって感じ。後年、アコースティックアレンジ版も録音されますが、オリジナルが断然推薦。なんかちょっとね、『BAGDAD CAFE』みたいな世界観。あんな陽気なミュージカル・テイストはないけどね。
あとこの辺に興味もったら、ひとまずベスト盤買いましょう。2枚組で出ています。『大貫妙子ライブラリー アンソロジー1973-2003』(下②)など2枚組で広い時代を網羅しているし、ご自身の選曲・解説がついているので推薦。

それから直近では坂本龍一さんのピアノと大貫さんの歌だけの『UTAU』(下③)でしょうね。これに関してはトークライブでも裏話があって、この企画が実現した時に、本当は英国のエアースタジオで録音するはずだったんですって。ですけど大貫さんのほうにいろいろ事情があって日本を離れるわけに行かなくなって、ならばということで見つかったのが札幌の芸森スタジオ。ここはご両名ともご存じなく、いきなり初めてのスタジオというのはどうか!? とかなり不安だったようだが、結果は良好、名盤完成と相成った。のちに聞けば芸森スタジオの設計者はなんとエアースタジオと同じ人で、しかもレコーディング卓も英国から同じモノを入れていたという、何という偶然! 40年を越える友人であり音楽化同士の音の会話を楽しめる、これまた耳に心地よい一枚です。

本、買ってね。モノマガ男もおすすめ。
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大貫妙子 デビュー40周年 アニバーサリーブック
大貫妙子 デビュー40周年 アニバーサリーブック
河出書房新社/刊 価格1800円+税
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リラックスして語る大貫さん。
リラックスして語る大貫さん。

会場は長年のファンでいっぱい。
会場は長年のファンでいっぱい。

ひとりひとりと握手しながら サイン本を手渡す大貫さん。
ひとりひとりと握手しながらサイン本を手渡す大貫さん。